睡蓮亭銃声

そしてロウソク。ロウソクがなくてはね。

舵の乗った小舟を海の方へ押していく:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題6

これまでのあらすじ:

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・過去一で苦しい戦いになった。

 

〈練習問題⑥〉老女

 今回は全体で一ページほどの長さにすること。短めにして、やりすぎないように。というのも、同じ物語を二回書いてもらう予定だからだ。
 テーマはこちら。ひとりの老女がせわしなく何かをしている──食器洗い、庭仕事・畑仕事、数学の博士論文の校正など、何でも好きなものでいい──そのさなか、若いころにあった出来事を思い出している。
 ふたつの時間を越えて〈場面挿入インターカット〉すること。〈今〉は彼女のいるところ、彼女のやっていること。〈かつて〉は、彼女が、若かったころに起こったなにかの記憶。その語りは、〈今〉と〈かつて〉のあいだを行ったり来たりすることになる。
 この移動、つまり時間跳躍を少なくとも二回・・・・・・・行うこと。
一作品目:人称── 一人称(わたし)か三人称(彼女)のどちらかを選ぶこと。時制──全体を過去時制か現在時制のどちらかで語りきること。彼女の心のなかで起こる〈今〉と〈かつて〉の移動は、読者にも明確にすること。時制の併用で読者を混乱させてはいけないが、可能なら工夫してもよい。
二作品目:一作品目と同じ物語を執筆すること。人称──一作品目で用いなかった動詞の人称を使うこと。時制①〈今〉を現在時制で、〈かつて〉を過去時制、②〈今〉を過去時制で、〈かつて〉を現在時制、のどちらかを選ぶこと。

 なお、この二作品の言葉遣いをまったく同じようにしようとしなくてよい。人称や動詞語尾だけをコンピュータで一括変換してはいけない。最初から終わりまで実際に執筆すること! 人称や時制の切り替えのせいで、きっと言葉遣いや語り方、作品の雰囲気などに変化が生まれてくる。それこそが今回の練習問題のねらいだ。

 

 

一作品目:【三人称/過去時制】

 

 どうにか天辺を探してやろうと見上げるものを圧倒するような果てのない本棚の壁を背に、彼女は文机に座り、傍に積み上げたぶ厚い辞書や、小難しい専門書を時おり参考にしながら、紙の上に文章を書きつけていた。興奮が先走っているのか、それとも鉛筆と紙という筆記用具が懐かしいのか、書き文字はどうにも悪筆で、彼女自身も書き上げてからさっと目を通さないと意味そのものが揮発してしまう危険性をうすうす感じていた。それにもかかわらず手を止めなかったのは、頭の中でひらめいた光の色が、これまでにない輝きと彩りを備えているものだという予感があったからだった。
 この熱狂はいつ以来のものかしら、と彼女は手を動かしながら、それまでをふりかえった。ダンセイニ卿と出会ったころ、はじめてものを書いたとき、進路に悩む大学生へ返事の手紙を書きあぐねた夜……今に至るまで、遠い時間が隔たっているようにも、目を閉じてふたたび開けるまでのほんの少しの時間しか経っていないようにも、彼女には感じられた。この場所では、そういった時間感覚のものさしはたいして意味をなさないと〈利用者〉のひとりである彼女もまた心得ていた。
 〈利用者〉たちは、気がつけば自分たちが存在していたこの場所のことを「図書館」と呼ぶことが多かったが、そう呼ばないものも大勢いた。地下墓地、集合的無意識アーカーシャ年代記、迷宮、世界樹、辺獄、世界の果て。彼女はシンプルに「森」と呼んでいた。書物の森。書に親しむものであれば誰でも、一度は思い浮かべる夢。思い浮かべたあとに、笑って捨てる設計図、そのものの中に彼女やその他の人間が存在していた。
 薄暗い空間の中から、深紅の絨毯をゆっくりと踏みしめる足音を聞いて、彼女は手を止めた。「図書館」あるいは「森」は無限ともいえる広さで、人と人がすれ違うことはまれだったが、絶無というわけではなかった。
 その姿を見て、彼女は懐かしさを覚えた。姿を現した初老の男は、異国の人ではあったが、彼女の先輩であり、戦友であり、商売敵であり、つまりは同業の人間だった。記憶よりだいぶん若い気がしたが、時間のものさしがあやふやなこの場においては、見た目の老若はさして問題ではなかった。そういえば、彼は老いて目を患ったのだと彼女はふと思い出した。
「はじめまして、でよろしかったかしら」
「そうですね、はじめまして。しかし私たちはすでに、お互いの物語の中でそれぞれに顔を合わせています。だからこそ、お久しぶりです、といった方が適切だったかもしれない」
 その柔らかい口ぶりは、彼女に好々爺な大学教授を連想させた。そうした好もしい雰囲気の教授は往々にして、意外なほど辛辣な授業をくり広げるということも彼女は知っていた。
「わたしは、あなたが長編小説を書きおろす日が来ることを夢見ていました」
「いきなり手厳しいですね」初老の男は照れくさそうに頭をかいた。「わたしはおのれの怠惰に敗残しましたが、ここでならば、復活戦のチャンスもありそうです」
 彼は彼女の手元にちらり目をやると、興味深いという顔をした。「お邪魔をしたようですね」
「とんでもない。これはただの手なぐさみです。少なくとも、いまは」
「しかし、いずれはこの書架に挿し挟まれることだろうと思います。私がここに来る道すがら、製本所という小部屋を見かけました。そこに持っていくと、あるいは対応してくれるかもしれない」
 ありがとう、と彼女は言った。「不思議なものですね、いつかあなたから直接的に指針をいただくことになるとは思わなかった」
「指針。そういえば、われわれはいくつかの共通するお題目を使って著述をしましたね。コンパスという言葉もそれに当たるでしょう」
 執筆の邪魔をしたことを本当に気にしているのだ、と彼女ははたと気がついた。次にお会いすることがあれば、その手なぐさみをぜひ見せてください、男はそう述べて、来た方向とは逆の薄闇に、また身体を溶かしていった。
 沈黙がふたたび彼女のもとに覆いかぶさった。鉛筆を握りなおして、彼女はなぜか先ほどの男ではなく、昔なじみの戦友──また別の同業者のことを想った。銃声で人生の最期を締めくくった彼女は、〈利用者〉としてここに招かれているのだろうか。
 きっとそうだ、と彼女は結論づけた。幸いなことに、彼女の脳裏にあったその光はその輝きをほとんど失うことなく、今も瞬いていた。黒鉛がえぐれるリズミカルな音が沈黙を刻み、悪筆が紙上でもう一度踊り出した。


二作品目:【一人称/いま:現在時制・むかし:過去時制】

 

 その時、わたしは自らの興奮に任せて筆を走らせていたように思います。文章の内容は、そうそう、新しく見つけた世界の合言葉についてです。とても危なっかしくて、薄暗闇の一寸先を手探りで進むような、ともすれば若い頃の、ほとばしる情熱の勢いのままに辺境の惑星のひねくれた英雄譚をものしていた時のような、楽しいひと時を過ごしていたのです。鉛筆の握り心地は久しぶりのもので、ずいぶん悪筆になってしまったことが恥ずかしい。かのダンセイニ卿に出会った頃、はじめて物語を書き出そうという時、ちっぽけな一人の新社会人として虐げられる運命にあることを悲観的に嘆く女子大生に対して、激励のお手紙を返そうとしていた夜。そうした熱狂の瞬間を今とつい重ねながら、手は止めません。
 新しく見つけた世界というのは、文字通り、気がつくと私の立っていた世界そのもののことを指します。用がなくとも書店を訪れ、図書館に重い荷物を返しにゆき、ソーシャル・ネットワーク上で新刊についての宣伝につい目を止めてしまう、そうした読書愛好家であれば一度は夢に見るような、天高くそびえる本棚が無数に連なる空間に、知らず入り込んでいたのです。
 不思議な空間で出会った人の多くは、ここを「図書館」と呼び親しんでいました。そして、ここにいる我々は「利用者」なのだと。面白いもので、「利用者」の多くは本を愛し、本に愛された類の人であるからか、「図書館」とは別の呼び名を考案している人にも少なからず出会いました。カタコンベ世界樹、少数派ながらオカルトや旧い心理学から引用する人もいました。
 わたしも独自の呼び名を見つけました。「森」です。書棚の大樹が並び、鬱蒼と暗く、静けさに満ちているこの世界のことをそう喩えたのでした。ですから、私は森の秘密を見つけた興奮に引きずられていたのです。
 そんな興奮状態のわたしですが、いやに鋭くなった五感が来訪者の足音を聞きつけます。この区画はすっかり人気のないものと考え、設置された共用テーブルに腰を下ろしていたのですが、それは勘違いだったようです。書き物をすこし隠すように身体に寄せ、来訪者の方へ目を向けました。
 暗い赤色の絨毯を踏みしめてやってきた男性の顔を見て、わたしは胸を撫で下ろしました。よくよく知っている人物だったからです。わたしは彼の著作を読んで、驚き、目を輝かせ、時には理解に苦しんだ経験がありました。難解で衒学的なその作風は、わたしの書き向かう方向とは必ずしも一致しないものでしたが、それでもなお、尊敬に値する先達であり、親しみの持てる同業者でもありました。
 そうした感慨は向こうにもあったのでしょう、わたしが挨拶をすると、彼は互いの物語の中で出会ったのだから、久しぶりと言った方が正しいのではないかと茶目っ気たっぷりに返してきたのでした。こうした態度のことを、わたしはよく知っています。それは優しめなおじいさんの教授に共通するもので、彼らは春の陽光のようなうららかで優しい口調で、意外なくらいに辛辣な言葉を吐くのです。
 あなたの長編小説が読める日を待ち望んでいた、と嘘偽りのない気持ちを述べると、彼は笑ってごまかし、そしてわたしの執筆を邪魔したことに恐縮しているようでした。わたしに「製本所」の場所を教えてくれると、彼は慌ただしく去っていってしまいました。
 会見がほんの一瞬で終わったことについては残念でしたが、ちょっとしたアドバイスをもらえたことと、驚くべき邂逅のあとにも「合言葉」についての一連の考えが脳裏から消えていなかったことは、幸運と言っていいでしょう。わたしは続きに取りかかります。
 彼との出会いで想起したのは、他でもない、様々の傑作をものした貴方のことです。貴方は人生の幕を自分で引いてしまいましたが、この出会いがあって、貴方もまた「利用者」としてここに招かれているのではないか、という希望を持ちました。
 熱狂は作文にあってはならないということがよくわかります。なぜって、まるで貴方への親しい手紙のような走り書きになっているのですから。書き終えてすぐ、厳しい推敲を課さねばなりません。
 森の中で貴方に出会える幸運を願いながら、わたしは続きを書き記してゆきます。

 

雑感

・そろそろ8月31日の子供のやり方ではついていかなくなってきた。文字数の大幅な超過と、合評会開始5分前の提出というそれだけで赤点の駄目っぷり。練習問題なんだからと割り切って中途で打ち切ってしまってもいいと後で気がついたんだけれど、書いている最中、これは一応でもオチまで持っていかなあかんな、という物語側からの要請のようなものを明確に感じたので。いや、それで遅れた言い訳にはならんが……。

 この点(物語に必要な分量を要請された痕跡)は他の参加者からも指摘されて、割と驚いた。妊娠線の跡のようなものだろうか。

・一読していただいたら大方見当がつくだろうが、その通りで、実在の小説家をモチーフに書いている。あからさまなワードチョイスもありますしね。ただ、一部のセンシティヴな実在の事件をエモーションの起点のひとつとして引用しているのは倫理的にあまり良くないわな、と反省しています。歴史にたいして厳正に向き合えていない姿勢の悪さ。

・「時間跳躍がいつ起こったか明確でない」という指摘が多数あり、その通り、これは手落ちでしたね。うっすら死後=未来の世界に軸足を置けば回想はすなわちすべて過去のものになるかな、というくらいの目算でした(誤り)。というか時間感覚が曖昧な異世界であることを強調しすぎて軸足そのものがふらついていましたね。とはいえ、一方で設問を面白くハックしている、という声があってちょっと愉快でした。

・一人称でですます調を使ったのも珍しがられてくすぐったかったですが、これも偶然の産物です。想定される作家のエッセイのイメージを基にエミュレートしたらこうなったというだけでした。実際こう書いているかは疑問が残りますが……

・「……これ最終回でやった方がよかった話では?」という指摘は、それはそうなんですが、追い詰められすぎて適当に掴んだ題材がこれというだけなので……。

・今回、雑感のだいぶ歯切れが悪い。

・色々な具材です。

ちゃんとぜんぶ読んでると思うなかれ。

・「これですか?」と尋ねられた作品は読んでなかったので、いずれ読もうと思います。

・以降の練習問題もがんばって取り組んでいきたい所存です。

舵を小舟の上に乗せてみる:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題5

これまでのあらすじ:

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・忙しくてブログに上げるタイミングを逸しかけていた。

〈練習問題⑤〉簡潔性

 一段落から一ページ(四〇〇〜七〇〇文字)で、形容詞も副詞も使わずに、何かを描写する語りの文章を書くこと。会話はなし。
 要点は情景シーン動きアクションのあざやかな描写を、動詞・名詞・代名詞・助詞だけを用いて行うことだ。
 時間表現の副詞(〈それから〉〈次に〉〈あとで〉など)は、必要なら用いてよいが、節約するべし。簡素につとめよ。(後略)

 

 待ち構えてはいるが、暗闇は静止している。相手はコツを心得ているようだ。獲物をじらすことの。正体は猟師かもしれない。老婆は苦境を再確認し、敵について推測する。とすると、やり手だ。緊張の糸を身の回りに張りめぐらせながら、胸中に凪をこしらえる。策謀から遠退く必要があった。闇夜に紛れているのは、人だろうか、それとも獣か。はたまた、怪物か。悪天候が彼女に敵対している。だが、向こうも苦心していると見た。夜目を持つ存在ならば、初撃で殺されたはず。月夜が我々を嘲笑っているらしい。
 破られた礼服の穴に夜気が染みた。このままでは埒が明かない。
 と、緊張の糸が風のふるえを触った。
 瞬間、閃光が暗闇を散らす。彼女の振るった刃が何かとぶつかったのだ。偶然の火打石は敵の腕を彼女の眼下に晒した。
 爪と剛毛。獣の方だったようだ。が、一撃に理が勝ちすぎる。謎は残る。
 一呼吸して、答えを見つけた。人狼の類だ。今宵は満月だと失念していた。刀身を杖に納めながら、老婆は嘆息した。狼は赤子でも猟師の勘を持って生まれる。では人は? 人は、訓練に勘を授かる。
 初撃を逃れたのも当然だ。敵は人狼に化したばかりなのだ!
 目を凝らすことで勝機が見えた。〈転ばぬ先の仕込み杖〉と称される武具を手に、老婆は集中する。意識を深層へ導いてゆく。彼女はこれを使った抜刀術で闘鬼の名を勝ち取ったのだ。
 覚醒させることなく、殺りきる。バラバラにするが三、されるが七ぐらいか。
 糸が震え、剣戟の火花が瞬き、そして静寂が闇を支配した。

 

雑感

日本語品詞分解ツール | konisimple toolを用いてちょくちょく副詞・形容詞を取り除く作業をしていましたが、ひとつ副詞が残っています。さて、どこでしょう。

・それ以外にもいくつか指摘されてただ肯くばかりの問題点があって、ひとつは天気の情景描写がちぐはぐなこと。悪天候なのになんで月に嘲笑われてんねん、という指摘はごもっとも。雲越しに覗いて嗤っているような性格と気味の悪いような画にしたかったんですが、先走りすぎですね。反省。

・それから「理」ってなんなのよ、という指摘もまったくその通り。ここ最近、ずっと狩猟に関するあれやこれやを益体もなく頭の上を覆う雲の中で蠢かせていて、それが不完全に出てきたっぽい。ぽいではない。ちゃんと書いた文章に責任を持ちなさい。はい。すいません。

・転ばぬ先の〜ってなんなのよ、という声には、仕込み杖というのはロマンであるから、と答えになっていない答えを返しておきます。

・正直かなりの難題だった。書き散らし終えて、亀仙人の亀こうら修行が終わった悟空たちみたいに、あらためて副詞や形容詞の便利さ、ありがたさを噛み締めることになった。

・設問から逆算して、今の語彙力だと短文しか組み立てづらいな、じゃあ速度のあるアクションを短文でこなしてみよう、という素直すぎるストラテジーだったのだけれど、周りを見渡すと、設問の縛りを感じさせないような文章を見事に組み上げている人もけっこういて、お恥ずかしい限り。あからさまに文章が不自由なんですよね、これ。地力の差をひしひしと感じる……。

・そういや「黒博物館 キャンディケイン」(藤田和田郎)、いつ単行本化するのでしょうね。

・以降の練習問題もがんばって取り組んでいきたい所存です。

舵で水を押しのけてみる:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題4-1,2

これまでのあらすじ:

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〈練習問題④〉重ねて重ねて重ねまくる

 今回は〈筋書きプロット〉は提示できない。練習問題の性質上、無理だ。

問一:語句の反復使用
 一段落(三〇〇文字)の語りを執筆し、そのうちで名詞や動詞または形容詞を、少なくとも三回繰り返すこと(ただし目立つ語に限定し、助詞などの目立たない語は不可)。(これは講座中の執筆に適した練習問題だ。声に出して読む前に、繰り返しの言葉を口にしないように。耳で聞いて、みんなにわかるかな?)

問二:構成上の反復
 語りを短く(七〇〇~二〇〇〇文字)執筆するが、そこではまず何か発言や行為があってから、そのあとそのエコーや繰り返しとして何らかの発言や行為を(おおむね別の文脈なり別の人なり別の規模で)出すこと。
 やりたいのなら物語として完結させてもいいし、語りの断片でもいい。

問1

 

 ひとつぶの砂で砂漠を語るのは詩人か詐欺師だが、ひとひらの貝殻で海岸を語るのが海洋学者だ、というのが伯父である登志史さんの言。正直な話、キザすぎてあまり受けつけない。第一、小学生のときに私が近所の海で拾い集めた、桜貝のぎっしり詰まった小瓶を眺め、鎌倉にでも行ってきたのと検討はずれなことを尋ねてきたでしょ、と思う。そもそも、あの日は登志史さんも一緒だったのに。そう愚痴ると、伯母の詩織さんは困ったふうに笑った。たしかにあの人、そういう抜けたところあるよね。登志くん、そういえば付き合う前は酔っぱらうとすぐ、彼女にするなら佐倉がいい、ってしつこく言ってきたな。よく空耳するの。照れながら言う詩織さんの旧姓は佐倉で、だからそういうとこ、と私はイーッとなる。そんな伯父さんはいまインドの大学に招聘されてて、春になるたび、私は彼の不在による空白をなでさするかのように、引き出し奥の桜貝の小瓶を取りだす。栓をぬけば淡く海が匂う。

 

問2

 

 フールスモークという苗字を受け継がされたからにはせめて高いところを目指す途中で死にたいと思っている。エヴェレストの岸壁で氷塊かその砕けちった欠片となっているであろう曽祖父がすべての元凶である。われら一族は呪いでもかかっているかのようになにかしらの形で天まで登ろうとする。祖父はある小国の政治的頂点に立とうとしたが対立候補の怒りを買って暗殺された。宇宙開発事業に就いた母は労働災害によって虚無の星空に命綱もなく投げ出され、そこそこ有害なデブリに身をやつすことになった。生物学的性質なのかもしれない。せめて潜性のものであってほしかったと心から願うことはままあり、たとえば一族の中では変わり者とみなされていた従兄などは同じような文言を呪詛のように連ねた遺書を遺してから飛び降り自殺をしていて、それでもマンハッタンの高層ビルのかなり高いところからの飛翔であったためにこれを悲喜劇のどちらに扱えばいいのか親族一同、集まるたびに論争している。私はどちらかといえば悲劇派で、従兄の怒りや怖れといったものにかなり同意するたちである一方で、今ここ、現在地についてを考えると死んだ従兄には侮蔑される対象なのだろうなとも思う。
 足元を見下ろす。出立した地平は、もう雲に隠れて見えやしない。
 一族の中でもずば抜けて優秀だった私の姉はその美貌と弁論術で巨額の投資資金をぶん取って、悠々と軌道エレベーターの着工に取りかかり始めた。親族一同もその手があったかと彼女を称賛し、また歯がみして悔しがった。ゴシップ誌は姉を面白おかしく取り上げて「女ガウディ、バベルを建てんとす」などと囃し立てた。私なんかはその記事を読んでなるほど上手いことを言うもんだなあと感心したものだ。一度差し入れを持っていった際に事故が怖くないかと尋ねると、「あたしは馬鹿じゃないし、煙だったら落ちることはない」と煙に巻かれた。
 着物の気密性をほんのすこし緩くして、外の冷気を取りこむ。目が冴える。食事用チューブを呼び出して腹ごしらえを済ませ、気合を入れ直す。表示されるステータスには異常なし。よし。まだまだ先は長い。
 姉のバベル計画がおかしな方向に進み始めたのはつい最近のことで、それまで私は着物、つまりたった今装着しているパワード・スーツによる補助付きのエヴェレスト未踏ルート登山を企てていた。半自走的に塔の先端を組みあげるのに姉が付き添うなか、ある高度を境にふっと通信が途絶したというのだ。内部のエレベーターを通す作業はその仮組みからかなり遅れるため、彼女はきっと成長を続ける塔の頂上で今も孤独に生きているかあるいは死んでいる。まず何より餓死するのでは、と同僚に聞くと、半永久的な植生サイクルの野菜食の開発と、人体改造による栄養補給効率の上昇でなんとかしてるよ、と気味悪そうに答えられた。自分すら人を人とも思っていない姉らしいやり口である。
 とはいえ、そんなまま放置していてもあれだろう、ということで私は登攀先を山から塔に替えた。正直なことを言えば、あんた何してんだ、と出来のいい姉を一度嗜めてみたかった、というのもある。
 開発チームの呆れ顔をよそに、着物の仕様を一部変更し、宇宙服の様式を組み込む。用意ができれば、エレベーターの完成部分まで乗り、そこからアタックする。残念ながら地球上空の域をまだ出ていなかったが、仕方がない。
 そうしてしばらく登り続けた。
 地図を呼び出すと宇宙空間まではあともう少し、というところだった。そこでアクシデントにぶつかった。文字通りに。目視できない高速の落体が体をかすめ、身体が中空に吹っ飛ばされる。ザイルが衝撃と落体の熱で溶け千切れる。
 おそらくは隕石だろう。でももしかすると母の死骸かもしれない。
 嫌なことというのは往々にして連続する。雲上の強風が私を弄び、背を塔に強打する。とたんビープ音と警告表示が視聴覚にがなり立てる。重篤な生命の危機。どうもパラシュート機能が死んだらしい。
 不思議と冷静な頭で高度を確認する。きっと市井の人間であれば目を剥くような高さまで手を伸ばすことができていたようだが、残念ながらこの家にはこれ以上に飛び上がったものがたくさんいる。フールスモークという苗字を受け継がされたからにはせめて高いところを目指す途中で死にたい。その願いはどうやら中途半端な形で実現されそうだ。従兄は苦笑いしているに違いない。お前にも自由意志はなかったんだなと。姉は私を見下ろして落ちて死ぬならただの馬鹿だと結論づけるだろう。人生のラッシュ・フィルムが忙しく編集されていく。
 瞬きのうちに雲に穴を開け、地平がもうそこまで見えはじめる。見渡す限りの農地で、池ポチャ狙いは無理そうだ。遺言送信機能をつけておけばよかったのかもしれない。私はつくづく一族のできそこないだ。
 目を閉じる。
 衝撃──ただし予想外にふんわりとした。スーツから巨大な風船のようなものが膨らんで、エアバッグの要領で助けられたのだと数秒して気がついた。開発チームのおせっかいに助けられたのだ。
 風船はすぐにしぼんで、トウモロコシ畑の中心に置き去りにされる。ずいぶんと畑を荒らしてしまったようだ。
 すこし離れても悠然とした姿で屹立する塔を見上げる。
「再アタックの時はミスらない」
 決意を口にしてみる。煙ではないが、死なない馬鹿ではあるに違いない。フールスモークという苗字を受け継がされたからにはせめて高いところを目指す途中で死にたいと思っている。

 

雑感

・だんだんとしんどくなってきましたね。私個人は講義のつもりで章ごとに読んでいるので、通読した方々から「この先もっとしんどくなるぞ」とバトル漫画における修行パートでの師匠の脅し文句めいた忠告に震えています。

・問2は700〜2000字でよろしいという話なのに勝手にそれ以上書いているせいもある。

・問1は完全にスベった/失敗した。注意深く読むか音読してもらうかすると2回目の繰り返しに気づくと思うんですが、まず目立ってない時点でだめですね。

・ちょっとしたネタがなく、その時にちょうど兵庫の貝類館について思い出していたことからニュッと出てきています。いい博物館です。兵庫の海辺の博物館、どこもいいとこだらけ。

www.nishi.or.jp

・あと読んでいないけど覚えている本のタイトル……。

ひとつぶの砂で砂漠を語れ

ひとつぶの砂で砂漠を語れ

Amazon

・他の方はもっと意識的に繰り返しで遊んでいただけに、ちょっと悔しい。

・問2は大苦戦した上でいつものごった煮のような話になりましたが、ややウケでよかった。

・『創作する遺伝子』を読んで『DEATH STRANDING』めっちゃやりて〜という気持ちになったものの、そもそもPS4もお金もないことからくる怨念がたぶん発想の原点にありますね。パワードスーツ。

・あとこの辺の。「キモノ」は完全に月村了衛先生というか〈機龍警察〉からですね。アオヤマくん、こういうやり方ぼくよくないと思うよ……。

・「エヴェレスト登頂における未踏ルート登山だとか無酸素登山に比べて、パワードスーツを利用した登山って競技的な難易度が下がってません?」というまっとうな疑問をいただいて、うまく答えられませんでした。そのへん、ほら話なのでよく考えていなくて……、と逃げをうつと「ほら話だからといって細部に手を抜いていいってわけじゃないと思うな」とその場でいちばんほら話のうまいであろう人に注意されてしまい、はい、それはその通りです。猛省。

・あと、みなさん思っていたより変ちきで愚かしい一族の話ってお好きなんですね。知らんかった。そういうジャンルのいい作品があればご教示いただきたいです。

・以降の練習問題もがんばって取り組んでいきたい所存です。

舵を水につけてみる:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題3-1,2

これまでのあらすじ:

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〈練習問題③〉長短どちらも

問一:一段落(二〇〇〜三〇〇文字)の語りを、十五字前後の文を並べて執筆すること。不完全な断片文(間投詞や体言止め)は使用不可。各文には主語(主部)と述語(述部)が必須。[英語の主語+述語という主体と動態の関係構造は、日本語にそのまま当てはまるものではないため、たとえばここでは、〈何〉について〈どう〉であるか、のように主題を対象とする陳述・叙述が成立していればよいものとする]
問二:半〜一ページの語りを、七〇〇文字に達するまで一文で執筆すること。

テーマ案:問一なら、ある種の緊迫・白熱した動きのある出来事──たとえば、誰かが眠っている部屋に忍び込む泥棒。問二は、一文がたいへん長いので、感情が力強くぐっと高まっていくさまや、おおぜいの登場人物が盛り上がってひとつになるさまが、ぴったりだ。事実でも架空でもよいが、ある家族の思い出はどうだろう。たとえば、ディナーの食卓や病院のベッドなどでの重要シーン。

問1

 

 山はしずかに憤っていた。狩人たちの枯れた肌もそれを感じていた。葉音はひとつも聞こえない。小鳥たちは息をひそめてじっと待った。虫たちは狸をまね、眠ったふりをする。木々は幹を揺すらなかった。正常な自然の脈動は止まっていた。なにかが目覚める。なにかが目覚めようとしている。暗い夜明けに似た予感がある。どれほど勘の鈍い男も胸に不吉を抱いた。吾作は濁った唾をのんだ。秋吉はするどく息を吐く。息は中空に青白く凍った。虎太朗は目やにを掬って弾いた。残雪にちいさな穴があく。規格外の獣が目ざめつつある。殺されず殺すよう、彼らは必死だった。一平はふと空を見上げる。太陽の下を鷲が飛んでいた。旧い唄のような、と彼は思った。二つの頃、母あが歌ってくれた。一平は次の月で四十になる。だが彼は背後の獣に気づかず、死んだ。彼を殺したのは郷愁か獣かは判らない。

 

問2

 

 ビルゲムのやつ、ほんとうに気が変になったのか、それとも恐怖のあまりに酒を呑みすぎて身体の中の恐怖を希釈しちまったのかは検討つかなかったけれど、とにかく、おれたちをあざ笑う嵐で大しけの甲板をひょこひょこ縦断してゆく足さばきはとんでもなく酔っ払っていて、おれはといえば雨にばちばち打たれながらも航行するために欠かしちゃならない幾本もの綱をそこらに縛って固定したり、ちぎれそうになっていんのをすんでのところでほどいてまわったり、それからもちろん強風やら甲板まで叩きつける高波やら船の揺れやらに足を取られたり取り返したりで忙しかったもんで、爺さんあぶねえぞ、と左肩に予備のもやい綱の一本をぐるぐる巻きながら声の限りに叫んではみたけれど、おおかたの予想のとおり、波音や船員どもが必死こいて取り舵やら帆の張りやらを指示するだみ声や、わずらわしい騒音のかたまりにかき消されちまって、おれ自身もまた別の船体を取り支える綱のひとつのほころびを見つけてどうにかしに行って、爺さんを目で追うことすらできなくなったものの、その頃からどうにも銃声や砲声がやかましく聞こえるようになり、というのは雲間からこちらに雨のよだれと風のうなりを噴きだしてくるあのにくたらしい風神の巨大なのっぺら顔にさかんに反撃がなされていたらしく、眉をひそめた風神のひと噴きにジムやブンダダやシラノといった連中があわれ海中へ吹っ飛ばされてしまうのが目の端に見え、こりゃどうにもならんなと綱を握りしめたところでふと雨の中空を飛んでゆくものをとらえたんだが、それはたしか船長が秘蔵していたはずの火酒で、ビルゲムのやつえらい鼻がきくんだなと見当ちがいのことを感心していたら、鳥目のマロリーがなぜだか雨中の瓶を撃ちぬいちまって、ってえのはたぶん船の揺れのせいだと思う、さておき銃弾はバッカスの祝福かウルカヌスの憤怒かは知らんけれど火炎をまとって飛んでゆき、それが偶然にも風神の左目をつらぬいて、天に大きな野太い悲鳴が響きわたったかと思うと、嵐が嘘のように去ってたので、鮫が砂糖水をかけられてくたばるあっけない様子をふと連想しながら、老人のやけっぱちも役に立つもんだと綱のぐるりを肩からおろすと、放心でとたん腰が抜けてしまった。

 

雑感

・問1の冒頭をけっこうお褒めいただいてうれしかった。個人的にはこの一文と残雪の描写は書きながらちょっと手応えがあった気がする。

・一方で、問1ラストの急転直下なオチはわりと意見が分かれた。個人的には「シリアスな調子の物語で起こる急な惨劇って、一周してなんか可笑しいよね感」を出したかったな、という考えがぼんやりあったので、これは失敗したと思う。

・問2についても、ひっちゃかめっちゃかな事が起こり、いろんな人が顔を出すのにすっと読めてよい、という評が多かった。ありがたいことです。物語の出来事としてはけっこう変なことをやっているので、もっとツッコまれるものかと身構えていた。

・問2について、「ル=グウィン先生が想定している模範解答って感じ」みたいな意見もちょこちょこあって、そちらも興味深かった。狙ってやってはいなかったです。というか他の方の外し方の冒険具合がすごかった。

・シチュエーションは相変わらず観たり読んだりしたものから適当に引き出しています。緊迫した狩猟の描写ってどうしても惹かれるものがある。ありませんか? 私はあります。あと、RPGで幽霊船や船上戦のイベントがあると嬉しくなる。

・そういや問2の鮫に砂糖水のくだりは北杜夫先生ですね。本当かどうかは知りません。

・『羆撃ちのサムライ』『邂逅の森』『羆嵐』『明日の狩りの詞の』とかいろいろ積んでいるものも読んでいかなきゃいけないよなぁ……。ホーンブロワーシリーズとか。(後者は古本屋でも滅多に見なくなったけども)

手にした舵で宙を切ってみる:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題2

・これまでのあらすじ:

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〈練習問題2〉ジョゼ・サラマーゴのつもりで

 一段落~一ページ(三〇〇~七〇〇文字)で、句読点のない語りを執筆すること(段落などほかの区切りも使用禁止)。
テーマ案:革命や事故現場、一日限定セールの開始直後といった緊迫・熱狂・混沌とした動きのさなかに身を投じている人たちの群衆描写。

 団員の誰もが最終処分場と呼んでいるその建物は何が入っているのか見当もつかない錆びたコンテナ群が第二の壁のようにぐるり置かれていて防音の役割を果たすのだからただでさえ人通りの少ない立地であることも相まって任意の人間を痛めつけるのに最高の場所であったことは確かでその日は監視役の仕事を与えられていたうすのろのヴァーディーゴはつい最近まで不思議なぐらい羽振りのよかった同僚のいや正確を期して言うならば数刻前までは同僚だったマシアスが鎖に繋がれその日の拷問官役を担当していた隻腕のドットとその横に佇むボスのパパ・オセアーノのひどく不機嫌で冷酷な面の底にある怒りをどうにか冷やそうと焼石にかける小便のような必死の言い訳をしているのをぼんやりと聞きながら約束をたがえた人間というのはどうしてこうも同じようなパターンで弁解してしまうのだろうかちょっと面白くなっていたのだけれどそんな風な奇矯な興味を持ってこの場に接しているのはこの男くらいであり同様に見張りを務めている愛煙家のムスタファは立って目を開けながら眠るというイルカのような器用な芸当をこなしていたしサディストのイセオはどうせ麻薬の持ち出しをしたにほぼ決まっているのにそれを認めようとしない男の哀れな姿に興奮して巨体を縦に横に斜めに揺することで起こるズボンの摩擦だけで器用に陰部をなでさするばかりでその他の団員たちももう劇的なことは起こらないだろうと踏んでいるため場内に請願と重たい殴打の音とパパ・オセアーノの肉でだぶついた苛立ちの講釈が混ざり響いてもそこに通底するのはどことなく緩慢な空気であり人と話すときはこうして思考ばかりが先走っておよそうまく喋れないがゆえにうすのろ呼ばわりされているヴァーディーゴの実は精緻な脳にひたひたとその情景が記録されてゆき彼は一日の生活リズムをひどく気にするドットが昼飯時までに殴殺してしまうか案外気の長いパパがそれでも痺れを切らして懐中のごつい拳銃でひたいを撃ち抜くか確率は六対四くらいかなと独自の計算式で導き出していた。

 

雑感

・ふたつレギュレーション違反を犯していることに合評会の場で指摘されてはじめて気がつき(ナカグロ・の使用による文章の区切りの発生、ラストの句点の存在)、そして今気付いたんですが文字数も超過していますね。未熟!

・「数刻」という言葉遣いがそぐわないのでは、という指摘もあって、これもその通りだと思った。この文章だと「(具体的な数)分」にしたほうが雰囲気出ましたね。

・けっこう寄り道のある文章がラストで登場人物の思考に収束するつくりが面白いと言われたのはわりと嬉しい。

・ギャングのイメージは完全にこの漫画をもとにしている。名作ですよね。

・あと読んでみたいけれど読めていない本のイメージを自分で勝手に創作したフシもある。

・ふだん使っていない筋肉を伸ばすようなことをやっているのだから、どうせならふだん自分が積極的に書こうとしない類のお話を意識して書くようにしていて、これはこれでちょっと面白い。

・以降の練習問題もがんばって取り組んでいきたい所存です。

まず舵をさわってみる:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題1−1

・読むべき本ややるべきことが山積して、しばらくTwitter見るのをやめようという気になっていたのだけれど、言いたいこともまた山積し、どうしようと思っていたところでほぼ死に体のブログがあるじゃないかと気がついた。

 

〈練習問題①〉文はうきうきと

問1:一段落〜一ページで、声に出して読むための語り(ナラティヴ)の文を書いてみよう。その際、オノマトペ、頭韻、繰り返し表現、リズムの効果、造語や自作の名称、方言など、ひびきとして効果があるものは何でも好きに使っていい――ただし脚韻や韻律は使用不可。 

 

 蟇雨(がまさめ)のゆふべに枯るる百舌鳥の声あれはおのれの仕業にあらず 木田寒素
 雨粒の屋根をたたく音に混じる時折りの異音へ耳をすませつ、他人様のふいに諳んじた句を口中でもごもご弄んでいる。曰く、駄句であるらしい。無教養だから今のが俳句か短歌かすら判らないと正直に言えば、相手は困ったようで胸元をそぞろに掻き、しばらくの後「五、七、五、七、七やから短歌ですわな」と応えた。呆れるでなく、呆れを隠そうと苦心しているのだと気づき、出会いの印象を改めた。
 教養の持ち主は須原という。今回の商談相手だ。鼻が脂でてらてら光り、獣臭さがスキージャンプの要領で鼻梁からこちらへ滑り飛ぶよう感じたのは間違いでないと思っている。仕事ぶりも脂ぎったもので、腑抜けた売り上げ見込みを明かした途端ナニワ調の突っ込みが鋭く飛びかかる。結局のところ相手方やや有利で手を打ったが、これは毛の生えたほどの新人に仕事を投げた本社が悪い。申せる訳は十二分ある。とはいえもうすこし悪びれる風でもいいのやもしれない。
 今回はこちらの出張だったので手頃な旅館をとっていた。すると商談後の酒席で押しかけていいかという話になった。近くに家があり、この辺の地酒を持ってくるということだったから無論歓迎した。只ほど美味い酒はない。しかしこちらが帰り着いて浴衣に着替えた途端どすどすと廊下を踏み散らしてきた須原の性急さには閉口した。彼はここやここと言いつ広縁のソファにどっかと腰掛け、こちらもそれに合わせて窓辺の酒宴となった。
 そうして積もった四方山話のなかで句はふいに暗唱された。
 あれ見てみんさいと須原の指さす窓の向こうは暗い夜の雨模様だったが酔眼をこするとなるほど雨滴に混じり降る異物があった。この地方ではこうして蝦蟇(がまがえる)が降りつむ時期があるのだそう。理屈か怪奇かは判らない。どだい気にされてないのだ。ここいらでは潰れ蛙を食膳に乗せることもありますのや。これが鳥みたいで案外悪ない。気色悪いの一方でほんの少し食指が動いた。落ちる位置が悪いと木の枝に刺さってはやにえの風になる。けどガマやから遠目にもごっつくてこの辺ではえせにえ言うんです。おおかた寒素はそれに材を取ったんでしょうな。
 去られて思い出すのは蛙の話だけだ。ソファに深く沈み込んで微睡ながら夜景を見るとなしに見る。晩年寒素は気を病んで落死したんですわ。不謹慎の輩が面白がって、詠んだ歌のごとく樹上に刺さっておった旨付け足したりしてほんましょうもな。窓外の中庭には石と苔ばかりのはずなのに木が見えた。暗がりから何かに覗き込まれた気がした。死にかけの蛙か俳人か。
 やや季ちがいの百舌鳥の声が遠くでするが夢かもしれない。ぎちぎちぎちぎち、あれはおのれの仕業にあらず。しかし今は怖いと言うよかただただ眠い。

 

雑感

・『風の十二方位』や〈ゲド戦記〉シリーズなどで有名な小説家、アーシュラ・K・ル=グウィンによる文章指南の本(上述)がつい先日発売され、そこで例示される実践的な練習問題や、ものした文章について語り合う合評会の具体的な運営メソッドなど、なかなか実践的な内容が話題になった。ので、Discordのサーバーに集まってこれをやろうぜ、というファイト・クラブな人々がにわかに寄り集まっていて、お誘いを受けたのでありがたく/おそるおそる参加させていただきました。ありがとうございます。

・実際にまず一問おためし気分でやってみて、筋肉のどの部分を伸ばすのかをちゃんと意識しながらストレッチを行う感覚で文章を書くことができたので、なかなか愉しかった。(使ってない筋肉を急に伸ばした時のメシメシいうような悲鳴が聞こえた気がする!)

・それが上記の回答例です。朗読もしました。

ル=グウィン先生は、合評会において作者は前もって言い訳したり、ひと通り自作について話し合われた後の弁解はするべからず、としています。とはいえそうするとこのスペースに書くことがほとんど無くなるので、合評会後の雑談気分で、あまり自虐的にならない程度にいくつか書いておきます。備忘録も兼ねて。

だいぶ前に高山羽根子先生が「蝦蟇雨(がまだれ)」という掌編を書いていて、不思議に印象に残ったことが遠因となってこんな文章が出現したのでした(これは出自を言っとかないと流石にリスペクトを欠くなと感じたので、合評会の場でも明言しました)。ファフロツキーズ現象、心を打つものがありますよね。高山羽根子先生の書く、要約の難しい物語たちも。

・冒頭の短歌は韻律にあたらないか事前にサーバー内の方々に問い合わせて話し合ってもらったところ、部分的にであれば(五七五調で全体を支配する、といった極端な事例でなければ)大丈夫なのでは、という判定を事前にもらったのでした。色々調べてくださった方々、ありがとうございました。

・なんか駄句なりに自分で短歌詠んでみたいなという気分になったのは、直前に読んでいた本や漫画のせいです。 

・その作品群で主に取り上げているの、俳句では? と思った方、その通りです。情報を俳句の文字数に圧縮するの、めちゃくちゃ難しい。……なんか別の課題にも手を出し始めていないか?

・前半でカッコ書きを使用しているのに後半で須原の発言がカッコに括られていないのはどうしてでしょうか? という疑問が挙がって(言われてみれば当然の疑問ですね)、「語り手は時間(文章)が進むにつれて酩酊して、なおかつ眠くなってきているので、そこを表現しようと……」と苦し紛れの弁解をしたらウケてしまってちょっと罪悪感を抱いています。書きながら村上春樹の「眠い」という掌編を思い出していて、そうしたギミックをまったく意図していない訳ではなかったんですが、とにかく、なんとなく書いて終えるのは駄目でしたね。

・ほら、弁解している……。

・このまま自作に関して書いてると反省会になってしまうので打ち止めにします。

・それはさておき、他人の書いた文章から良いところを掬いとったり、自作の思わぬところを褒められたりする合評会、スリリングであり安心もできる進行だったのでとても良かったです。ル=グウィン先生の規定したレギュレーション、なかなか厳正でこちらも緊張するのですが、駄目な糾弾の場にならないよう細心の注意がはらわれている……。

・参加した方のうち一人が、「どうにも掌編的なオチを作ってしまいそうになるけれど、この練習問題に参加するにあたっては、むしろ『長編小説の任意の1ページから抜き出したような』書き方をした方が問題の意図に沿っているのではないか、と思った(うろ覚え)」といった旨の発言とそれに伴う実作をなさっていて、個人的にはすごく眼から鱗が落ちました。ルールの真意をよく読み取らんままデスゲームに参戦して無残に死ぬ人になってしまった感がある。

・俳句と朗読、という点でふと気になって『ミステリーの書き方』を開いて、「Q.推敲するときに気をつけていることは何ですか」の項目で「音読」を挙げていた作家のうち、北村薫北森鴻倉阪鬼一郎の三氏はそういえば俳句についての本を書いているな、と気がついたり。 やはり詩歌に触れていると文章のセンスは鋭くなるもんなのかな。

・それくらいでしょうか。以降の練習問題もがんばって取り組んでいきたい所存です。

どうでもいい、無機質な風景についての雑文

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アニメ『戦国コレクション』14話より 洗濯機を覗き込む沖田総司


 

洗濯機見ると落ちつかん? 中でグルグルと回ってるの……

──リゼ・ヘルエス*1

   時々ほんとうに理由もなく落ち込んで、何もしたくなくなる時がある。少なくとも、わたしにはそういうタイミングがままある。やるべきことも、とりたててやらなくていいことも、どうにも手につかない。とはいっても、そのままぼんやりし続けていることを許されるような立場でもないし、経済的余裕もない。どうにか近いうちに、このままならなさを脇へどけてやらないといけない。……と思えば思うほど余計にダメになっていく。そういう悪循環の螺旋階段を知れず降り続けていることに、ある日ふと気づく。

 そういう時には洗濯機の回転をじっと見ていると、少しだけ、ままならなさが和らぐ。

 家にある洗濯機はドラム式の、回転部分が斜めに傾いだタイプのものだ。ドア部分が透明なガラスになっているので、家族の洗濯物を入れ、所定量の洗剤や柔軟剤をセットし、「わが家流」モードにしてスタートのスイッチを押すと、ぐるぐると回転する靴下やブラジャーやボディタオルやTシャツのありさまが薄暗く見て取れる。といっても、気晴らしに洗濯機を回すんだもの、そんなタイミングで洗濯物が都合よく溜まっていることはあまりない。それに思い悩むのは大概が真夜中だ。真夜中に洗濯物を入れてスイッチを押せば、わたしだけでなく、騒音に飛び起きる隣人もまた悩める人となってしまう。

 自分以外の悩める人はあまり増やしたくない。

 だから白い洗濯ネットをいくつか入れて、「槽洗浄」モードでこっそりと起動するのがいい。開始ボタンを押す前に、洗濯物カゴを脇にどけ、リビングから一人用の椅子と缶ビールを一本、そしてグラスを持ってくるとなおのこといい。洗濯機の置いてある脱衣所の床は防水性だから、胡乱な気持ちになってビールをこぼしたり、グラスに蹴躓いたりしても平気だ。引き戸を閉め、洗濯機のドアの前に椅子を置き、グラスを傾けつつスイッチを押す。静かな駆動音が脱衣所に響く。暗いドラムの中を洗濯ネットが舞う。もっと多機能の最新型洗濯機には、ドラム内部を照らすライトのついてる物もあるんだったか。ちょっと羨ましい。とはいえ、こういう時はこのうす暗い程度の光量がいいのかもしれない。

 洗濯機の中の回転体は、不思議と心を落ち着かせる。小説や映画の中でコイン・ランドリーの でるシーンがあると嬉しくなるのはわたしだけなのだろうか? 『ベイビー・ドライバー』の見目麗しい恋の一幕や、『パターソン』の街場の詩人と出会うくだり……。

 

ベイビー・ドライバー (字幕版)

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  • 発売日: 2017/11/10
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パターソン(字幕版)

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  • 発売日: 2018/03/07
  • メディア: Prime Video
 

 

 こういう密かな愉しみは、実は意外と多くの人が隠し持っているのかもしれない、と最近になって思い始めている。

 この文章を読んでいる方にも思い当たるふしはないだろうか? 

 

グラスホッパー (角川文庫)

グラスホッパー (角川文庫)

 

 

 伊坂幸太郎の『グラスホッパー』は様々なプロの殺し屋、悪党が出てくる、シニカルでスリリングなサスペンス・ミステリだ。その殺し屋連中の中に「蝉」というキャラクターがいる。殺しに躊躇しない彼だが、読者にとって意外なことに、しじみの砂抜きという趣味を持っている。彼は懸命に砂を吐くしじみに癒しを得る。『殺しの烙印』の宍戸錠演じる殺し屋・花田にとっての米の炊ける香りのようなものが、蝉にとってはそれなのだ。

 刑法に触れるような生活をしていないので、「殺し屋」と言われてもその生き方にピンとこないけれど、このエピソードひとつで蝉という人の在りようはものすごく立体的になる。彼はなんなら、そこいらにいるだけの人間より、懸命に呼吸し、ボウルの塩水の中で砂を吐き出すしじみの方に同情的だ。そこが可笑しく、どこか哀しい。

 わたし達は、いや、少なくともわたしは、彼のそんな歪さに思い当たる部分がある。

 

 

 『月曜から夜更かし』という番組の中で、ノルウェーの「スローテレビ」という試みが取り上げられていた回を見たのはすごく印象に残っている。ノルウェーの公共放送局が、企画の一環として「薪が延々と燃え続けている風景」を半日にわたって放送した。もちろん、火が燃えているだけだもの、解説やテロップなんてものはない。それでもその映像は視聴者にウケた。異様な視聴率の高さだったのだという。ちょっと調べてみると、なるほど、ノルウェーではこの「スローテレビ」企画がちょこちょこ試みられていることがわかる。焚き火、七時間にわたる列車旅の風景、おばあさんの編み物、ペンギンが体を乾かす様子……。TEDトークのサイトでノルウェーのTVプロデューサー、Thomas Hellumが語っている動画などがあるので、概要を掴むにはとりあえずこの人の話を聞いてみるのが手っ取り早いと思う。

トーマス・ヘルム: 世界で一番退屈なテレビ番組がやみつきになる理由 | TED Talk

 

 TEDトークの中で、ヘルムはこう言っている。

「時間を編集しないということは重要なことです」 

 あ、それだ、と思った。

 ふだん何気なく受容する映像というもののほとんどは、そこに含まれる情報を視聴者側が受け取りやすいよう、編集されている。簡潔に、余計な部分は削いで、時にはユーモラスに、あるいは悲壮な風の味付けをして、お出しされる。そうでもしないと、忙しい中で受容するにはこの世には出来事が多すぎるのだろうと思う。理解できるし、納得する。

 ただそれはそれとして、口当たりのいい情報に辟易する時だってある。

 見えるもののそこかしこに、人為が介入していること。それに対する疲労

 最近のテレビ番組の中でもかなり好きな部類に入るNHKの『ドキュメント72時間』シリーズだって、タイトルそのままに72時間分の映像が放送されるわけではない。それはフェリー上で、NYのコインランドリーで、ガソリンスタンドで、高田馬場ゲーセン・ミカドで、撮影された3日間のうちの1時間足らずのハイライトでしかない。

 このしんどさは、切り取られた70時間ぐらいへの判官贔屓から来ているのかもしれない。

 

 

 最近はよくバーチャルYouTuberの動画を見るとはなしに、作業配信的に音を絞って流していることも多い。深夜、わたし以外の誰かがゲームの攻略を頑張っている。少なくともこの夜に、わたし以外にも一人は眠ることなく、なにか作業をしている。その共時性に不思議な安心感がある。

 冒頭に引用したリゼ・ヘルエスタという人も、にじさんじ所属のバーチャルYouTuberをなさっているヘルエスタ王国の第二皇女様だ。文武両道人望ゲキアツプリンセス。最近だと、『MOTHER』シリーズの感受性豊かな実況配信が製作者の糸井重里に注目されたことなどが記憶に新しい。あの配信いいですよね。

 そんな皇女様だが、その涼やかな容姿と声音からは想像できないほどにネガティブだ。

 彼女は落ち込んだ時のルーチンに「道路のアスファルトを眺める」ことを挙げている。

www.youtube.com

 彼女の主張すべてが理解できた、とまでは言えないけれど、なんとなく分かるところはある。無機質で、人為をほとんど介さない風景は、ふしぎなリラクゼーション効果があり、どうしてか励まされることだってある。

 皇女の御言葉を拝聴していると、むかし友達に連れられて安倍吉俊先生の小規模な画展に行った時のことを連想する。個展の入り口に設置された安倍先生からのメッセージは、正確な内容までは覚えていないけれど、奇妙に印象に残り続けている。

 危険な穴から目をそらさず、ゆっくりと後ろ向きに歩いていると、正しい方向へ向かう。

 そんなメッセージがあったように思う。この点に関してはぼんやりとした記憶に拠って書いているので、もしかすると自分の都合のいいように解釈して、言葉を歪めているかもしれない。そうであればごめんなさい。

 そういえば、リゼ皇女が崇拝に近いほど尊敬している月ノ美兎委員長は、デビュー当時「洗濯機」の上にPCを置いて配信していたんだっけか。

 

 なんだかまとまりのない散漫な文章になってしまった。けれど、この文章自体がまとまる必要性のない指向性を持つものだと思うので、あともう少し放埓に書けるだけ書いてみたい。

 

 いろんなコンテンツと出会うたび、案外、人はいろんな意味のない風景に癒されていたりするんじゃないかな、と思えてくる。岸政彦や堀江敏幸のエッセイを読んだり、panpanyaの漫画を読んだりする時にかすかに感じる、頭の奥がしんとする感じ、効率的な社会生活の中で無駄とされ切り捨てられたものをそっと拾い上げて、取得物に思いを馳せてみることの穏やかさ。吉田篤弘の小説にも似た効能がある気がする。あの感覚。

 検索ワードにさえ思い至れば、YouTubeでも色々な映像を眺めることができる。特に、ライブカメラを見て回るのはとても愉しい。半日ほどの時差のある、遠い国のある街の風景。雨の日のダム。バードウォッチャー用だろう、カメラ前に置かれた皿の中のヒマワリの種を求めてランダムにやってくる野鳥。東京の交差点……。

 さして重要でなく、その光景が在ること自体に人の意図、介入をあまり感じない風景。

 そんな風景があることに時々寄っ掛かりたくなるから、わたしは洗濯機を回す。

 

 と、こんな文章を書き上げているうちに「あと1分」の表示が出る。

 もちろん、いまは実物の洗濯機は回していない。ほんとうにダメな時はこんなまとまった文章なんて書けたためしがない。仮想の洗濯機を頭の中で回し終えようとしているだけだ。

 仮想で済むなら、いまはまだ大丈夫なのだろう。

 洗浄完了のピー音が鳴る。この一瞬はいつも緊張する。そっとドアを開け、洗濯ネットを取り出して、机とグラス、それから空のビール缶を片付ける。洗濯物カゴを元の場所に戻し、脱衣所の電気を消して引き戸を閉める。自室に戻って、布団にくるまる。

 こういう日の夜は不思議と深く眠れる。「命の洗濯」って案外こういう意味なのかもしれない、なんてしょーもないことを、意識が途切れる前によく考えている気がする。

*1:【事故物件】ケルベロスと皇女による徹底した内見を見よ【戌亥とこ/リゼ・ヘルエスタ】https://www.youtube.com/watch?v=y7Owa4V4hc4 の19:07〜