睡蓮亭銃声

そしてロウソク。ロウソクがなくてはね。

そして、小舟は海をゆく:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題8~10

これまでのあらすじ:

simiteru8150.hatenablog.com

・更新をサボっていたため、打ち切り漫画の最終回みたいな分量になった。

 

〈練習問題⑧〉声の切り替え

問一:三人称限定視点を素早く切り替えること。六〇〇〜一二〇〇文字の短い語り。(中略)

 複数のさまざまな視点人物(語り手含む)を用いて三人称限定で、進行中に切り替えながら物語を綴ること。

 空白の挿入、セクション開始時に括弧入りの名を付すことなど好きな手法を使って、切り替え時に目印をつけること。

問二:薄氷

 六〇〇〜二〇〇〇文字で、あえて物語に対する明確な目印なく、視点人物のPOVを数回切り替えながら、さきほどと同じ物語か同種の新しい物語を書くこと。(後略)

問一:

 

 〈くらしの光明〉朝のおつとめの一つに、講話の時間がある。これは幹部級の人間が、自身らが寄る教義にからめて小噺を毎朝ひとつ、入門者(団体は信者をそう呼ぶ)たちを一堂に集め、言い聞かせるものだ。五時の起床にはじまり、支部内外の清掃や調理当番、瞑想や問答のやりとりといった精神修行をそれぞれ経たうえのこの時間は、噺家が下手くそであればいちばんの苦行だが、C市支部の指導者である萬代よし子の講話はすこぶる好評だった。講話が終わり、ラジオ体操をすませ、食膳をのせる折り畳みテーブルを講堂に並べながら、入門者たちのあいだでの雑談の話題になるほどには。
 C市支部は廃寺を〈くらしの光明〉が二束三文で買い受け、修養をかねたリノベーションをすることにより設立された。講堂となる本殿には、まだ薄ら寒い早春の風が吹きぬけ、境内のすずめの鳴き声が響く。萬代はしずしず堂内に入ると、座して待つ入門者たちに一礼し、よく通る声で「おはようございます」と口をひらいた。
「本日もご苦労様でございます。お天道さまの御光が春めいてまいりましたね……」
 中列で体育座りをしていた吉岡祐輔は、熱心に聴きいるふうの顔をつくっていた。彼は内心とかけ離れた表情をつくるのが得意であったため、県警の公安部でも重宝されていた。そのため、ここには信者のふりをして内定調査に潜りこんでいるだけであり、よし子への宗教的な敬意の持ち合わせは欠片もなかった。彼の目には、〈くらしの光明〉は仏教由来の穏当な新興宗教にしか映らず、テロリズムへの傾倒などの危険性はちらとも感じられない。だが、自分が無駄足を踏まされていることに腐りつつも、壇上で朗々と語る老婆の観察は怠らない。彼はそうした勤勉さを備えていた。
「……周利槃特、現地ではチューラ・パンタカとおっしゃいます、この人はもと愚者で、仏のお導きによって阿羅漢といたりまして、その道とは……」
 前列で正座して聞いていた松浦柚野は、毎朝行われるよし子の講話レパートリーの幅広さに感心していた。柚野もまた信心なき入門者だった。彼女は七味つくね名義でウェブ漫画を連載していたが、ネタ切れに苦しんでおり、家の中で四六時中うめく彼女に苦い顔の両親が入門を提案したのだった。〈くらしの光明〉は、「やや宗教色を帯びた、地域密着型の清掃ボランティア団体」程度の印象を持つ近隣住民は多い。柚野の両親もその一部だった。彼女はテーブルの上のチラシを胡散臭く見やったが、結局は了承し、多くの創作のネタを拾いあつめた──朝の講話からは、とくに。
「……こうした出来事に出逢ったとき、わたくしどもはどういった心構えを持てばいいのか。かの哲学帝は、『他人の罪はその場に留めておくがよい』と……」
 よし子のすぐ後ろで黒子のように控えていた三隅透は、腕時計の確認を神経質にくり返しながら、上司のバイタリティの源泉はいったいどこにあるのか思索していた。透は補佐と雑務をかねた役職にいたが、指導者であるよし子はその数倍は働くのだ。それに、彼が時々出逢う本部の人間より聡いと思わせるものがよし子には備わっていた。
「……というわけで、朝の講話を終わります。ご起立願います」
 天井のスピーカーからラジオ体操の音楽が流れ出す。倦み、まどろんでいた入門者たちの心がにわかに揃いだすのが感じられるこの数分を、萬代よし子はなによりも慈しんでいた。

 

問二: *新しい物語

 

 上履きのゴム底がフローリングの床と擦れあう音、それからバスケット・ボールの跳ねる音がいくつもいくつも木霊している。袖幕のウラでその軽やかな音を耳にしていた瀬島イヅミは、集中力を散らされて舌打ちを鳴らした。彼女には舞台現場に赴かないと脚本のインスピレーションが得られない悪癖があった。気が気でないのは、舞台に立って天井の照明位置を確認しながら、横目でその様子を見やる成瀬ヨーノスケだった。演劇部の副部長である彼は、人当たりのよさを買われ、舞台に立たずとも折衝役をやらされることが多かったが、それゆえ気苦労も多かった。現に、脇の階段に腰かけて、貧乏ゆすりのとまらない元村ユタカが舌打ちの音にすばやく振り向いて、それからヨーノスケの方を見やり「いつ終わんの、演劇部さんは」と問いただしてくるではないか。「さあ何とも、うちの作家さん、どうにも気まぐれで……」と愛想笑いを浮かべるヨーノスケはどうにも頼りにならない存在のようにユタカの目には映った。たいして広くもない育命園高校の体育館だ。ただでさえ強豪のバスケ部が我が物顔で面積の半分を占有しているのだから、わがバドミントン部は壇上だって練習に使いたい。それなのに演劇部どもは、といきり立つユタカのもとに、一年の岩田コウヘイが「部長」と駆け寄ってくる。コウヘイとしてはいかにも機嫌の悪いふうの部長には近づきたくもない。なかば理不尽な練習メニューの加算を喰らった経験が骨身にしみている。だが、「新品のシャトル、もう全部天井に引っかかっちゃって……」という報告は意を決して済ませた。同じ新入生である吉澤ユキは、すました顔して練習を続けているが、コントロールのひどいパワー・ヒッターとして悪名を轟かせている。天井にひっかかって帰らぬものとなったシャトルの数がそれを証明していた。「嘘だろ!?」と悲痛な声を上げて立ち上がったユタカを見て、どうもタゲが逸れたっぽいなと悟ったヨーノスケはホッと一息をつき、天井のまばらな白い点々を見上げた。「あれ、取らはるんですか?」と二階のキャットウォークから天井を眺め、市村マキはシャトルとボールの墓を指さした。新聞部である彼女の今月の取材コンセプトは〈発掘! 育命のこんなところにスゴい人〉であり、その〈スゴい人〉候補である用務員の白坂テツは彼女の学生らしい素朴な疑問に思わず笑みをこぼした。「まさか! 年イチで業者さんがなんとかするんよ」さすがにワシでもあんな高いとこよう登らんですわ、とテツが言おうとしたところで、ホイッスルの号令が邪魔をした。あ、ヒカ先、とこぼしたマキの目線の先にいるのは、バスケ部顧問の氷川ユーである。ユーは部員の動きを止めると、すぐに模擬戦にうつるように部員たちに指示した。なるほど強豪らしい優雅さとでもいうか、部員たちの動静にメリハリのきいた動きは、体育館に点在する他の人たちをハッとさせるものがあった。そのため、不思議と静けさの増した中空間だったが、ユーがふたたびホイッスルを吹き鳴らし、ボールを二チーム間の中空へ垂直に投げ上げたことによって、騒がしさは取り戻された。袖幕ウラの暗闇から「閃いたッ!」と声が上がったのはその直後のことである。どうも一瞬の沈黙が瀬島イヅミの頭上に天啓の雷を落としたらしかった。

 

雑感

・問一はわりあい上手いものをこしらえられた手応えがあります。評判も良かったような。ただ、スイッチが台詞だとわかりづらい、という指摘はその通りでしたね。

・問二はよく映像作品で見受けられる「人物の視点→の先にある物体A(→と類似した物体A')→それを見つめる別の人物」のような転換をやりたくて骨折した例でした。

・前者は地方密着型の宗教施設での生活体系への興味、後者は体育館という騒がしくていろんな人物が混在する場の面白さに釣られて、という感じでした。

 

 

〈練習問題⑨〉方向性や癖をつけて語る

問一:A&B
 この課題の目的は、物語を綴りながらふたりの登場人物を会話文だけで提示することだ。
 四百~千二百字、会話文だけで執筆すること。
 脚本のように執筆し、登場人物名としてAとBを用いること。ト書きは不要。登場人物を描写する地の文も要らない。AとBの発言以外は何もなし。その人物たちの素性や人となり、居場所、起きている出来事について読者のわかることは、その発言から得られるものだけだ。
 テーマ案が入り用なら、ふたりの人物をある種の危機的状況に置くといい。たった今ガソリン切れになった車、衝突寸前の宇宙船、心臓発作で治療が必要な老人が実の父だとたった今気づいた医者などなど……


問二:赤の他人になりきる
 四百~千二百字の語りで、少なくとも二名の人物と何かしらの活動や出来事が関わってくるシーンをひとつ執筆すること。
 視点人物はひとり、出来事の関係者となる人物で、使うのは一人称・三人称限定視点のどちらでも可。登場人物の思考と感覚をその人物自身の言葉で読者に伝えること。
 視点人物は(実在・架空問わず)、自分の好みでない人物、意見の異なる人物、嫌悪する人物、自分とまったく異なる感覚の人物のいずれかであること。
 状況は、隣人同士の口論、親戚の訪問、セルフレジで挙動不審な人物など――視点人物がその人らしい行動やその人らしい考えをしているのがわかるものであれば、何でもいい。

 

問一:

 

「ほやけどな、結局なんぼいうても掃除機は掃除機なわけやろ。それ買うゆう分にはチョッチ高いわ」
「ですから、ウチで扱っている商品は掃除機じゃなくって。たしかに清掃するためのものではあるんですが、持ち手を動かしてガーガー吸い込みに前後させる必要なんてないんです」
「わっとる、分かっとるわ。それくらい兄ちゃんのいうてることはよ〜理解してます。電源つけたら自動で廊下じゅう掃き回ってくれんねやろ。やけどね、ウチみたいに由緒あるお宿ぁそらごっつ広いわけよ。兄ちゃんの思うてるよりよっぽどよ。ここ、この接待の部屋なんかほんの端っこなんな。んなとこにこのちまこい掃除機導入するいうても、いまの掃除手伝いのバイトさんら分揃えるて考えたらどんだけ要るゆう話なるわけやんか」
「そうですねえ、確かに導入費用についてのみ考えますと、アルバイトさん数十名の労働費用を若干上回ることにはなりますね」
「な? ボクの言うた通りやんか」
「でもですよ、導入して四ヶ月でランニングコストはこちらの方が下回る、お得になるよというのは試算表で示した通りなんでして」
「なんやその辺うさん臭いわ。ウチ、木の柱とか狭い隙間ぎょうさんあるけど、いざ入れてみる言うて入れたらモノそのものが入れへんとか、ごっつ電気喰うとかあれへんやろな」
「いいですか、この子──じゃなかった、この商品はですね、ある程度のサイズまで変形できるんです。棚のスキ間や押入れの隅だってラクラク綺麗にできます。必要とあらば壁だって」
「壁這い登るんかいな。なんやケッタイな、家守か油虫かっちゅう感じやわ」
「ご不快に思わせないよう、周囲の風景をこのカメラアイで捉えて背面に合成映像を投影することもできるんです。ほら、ちゃんと木目に紛れてるでしょう」
「家守か思たらカメレオンかいな。そんなんされたら気づかんと踏んでまう」
「その点もご心配なく。温度センサーで人肌を感知すれば迷彩を消しますし、万一乱暴に扱ってもちょっとのことでは壊れません」
「あんなあ、第一ウチが広いんは何も建物だけとちゃうで。庭も温泉もそこいらのお宿さんよかずうっと大っきい。さすがに『その子』に芝刈れお湯抜けとまでは命令でけんやろ」
「ご安心ください。室内タイプよりやや値が張りますが、ちゃんと別タイプの商品もありますよ。カタログのええと、このページです。この子は雨の日でもお庭の雑草を刈り取れて……」
「従業員まるごと機械化されてまうわ。そりゃあ兄ちゃんの言うてることにも一理あるいうのは分かってきたで。この掃除機はサボりも賃上げ要求もせんやろうのも分かる。機械は壊れるけど人かて壊れるわけやし。ほやけどな、結局なんぼいうても……」

 

問二:

 

「朱莉、人」
「うぇう」
 生乾きの返事とともに、タブレットの作業風景が瞬時に隠される。「お前のそれは公然猥褻でしょっ引かれかねない」という問題提起にもとづく話し合いの末、二人で取り決めたルールのひとつだ。人が通りかかったらいったん作画を取りやめる。去ったのを確認したら再開してよろしい。
 新篠岡こども公園は、その名のとおり児童たちのための公園である。間違っても、私たち──とくに、眺めのいいベンチにあぐらをかき、脇にチューハイの缶を置いて、鼻歌まじりに水着姿の女の子の絵を描くこの女のための場所ではない。あってたまるか、というのが私の意見。
 なるべくその異物から目を逸らし、新篠岡の夜景を一望するのは悪い気分じゃない。山の斜面を平らにならしてできたこの一帯は、坂下の街をぐるり見渡せる。私はこのスポットが好きだ。うまい具合に気持ちよく早起きができたら、朝の通勤にはかならずこの公園を横切ることにしている。ビル群のガラス窓に陽光がきらきら反射するのを横目にすれば、会社での多少の理不尽にだって耐えられる(ような気になる。なるだけだ)。
 ただ、彼女は違うものに視線をそそぐ。
 妹尾朱莉──うしろのひかり名義でイラストレーターを生業にするこの女は、主として美少女のイラストを方々に提供している。彼女のアートワークスをまとめたデジタル・ポートレートを眺めても私としてはピンとこないものが多い。
 その理由は、雑に言ってしまえば朱莉の視線の先にある。
 新篠岡の夜景においてとりわけ目立つもののひとつに、巨大な球体ガスタンクの存在がある。夜間仕事のためだろう、ライトアップされて浮かぶ緑の双丘にはそれなりの迫力が出ている。かつてはスイカ風のカラーリングがされていたのだが、長期間風雨にさらされたため、今では緑一色となっている。さて、その独特の丸まっちいそのフォームから、性的なものを連想する人間はきっと多いのだと思う。
「うへへ」空いた左手でなにかを絞るような仕草をする女がその一例だ。「やっぱりここは、なんかが湧いてくる」
 そう、新進気鋭のイラストレーター・うしろのひかり先生は、 都営ガス新篠岡工場の風景に刺激を受けながら、ふくよかな女の子の絵を描く変態なのだ──なんて、冗談でも周りに共有できやしない。まして、そんな奴と腐れ縁の旧友であり、マネジメントを請け負う立場であり、あまつさえルームシェアまでしている……だなんて言ってしまえば、それは変態の同好の士であるというカミングアウトも同然なのだ。言えるもんか!
 違うんだよ──から始まる彼女の弁を思い出す(「違うんだ」から始まる言い訳は、たいてい違わない)。あれは確か、私のスポブラを器用に脱がしながらのタイミングであって、嫌味以外ものもとは思えなかった。曰く、わたしは二次元の描きものとしてはおっぱいの大きな女の子が好きで、三次元の現実では必ずしもそうじゃないんだよ、だってわたしの絵みたいなサイズの女の子いないし、佐久ちゃんみたいな手のひらサイズも大好き。もはや理屈としても通らないような囁きを聞きながら、どちらかというと私はされるがままの私自身に呆れていたものだ。
「朱莉」
「ちょっ、いいとこだから待って」
 つむじのあたりをひっぱたく。この社会性のないスケベの面倒をそれでも見ている自分の源泉にあるのはなんだろう? 珍奇な生き物への興味か、すれっからし道徳心か、さては愛──はないだろう。
 夜風が私の頭を冷やす。とにかく、帰りのコンビニではゴミ袋を買わなければならない。心にそう固く誓う。うしろの先生が逃避している仕事場はすでに辺獄の様相を呈しているのだから。

 

雑感

・問一は「商談だったらいい感じにお互いが切り結ぶ事になるよなあ」というアイデアからです。実際コストの低い生成ができました。

・問二については「異なる感覚の人」を選択して書いたつもりでしたが、けっこうツッコまれました(苦手な人物の造形はしてないです)。「働いている」「人を養う余裕のある」「わりと性的な事柄を語ることにあけすけで」「こまめな」「女性」という演算の結果、という感じでした。

・個人的に、セクシュアルな描写を避けてしまうきらいがあるので、このタイミングでちょっとでも練習しておこうか、という考えもありました。結果「エッチだ……」みたいなご講評もいただけてよかったです。意図が通じた。

 

 

〈練習問題⑨〉方向性や癖をつけて語る

問三:ほのめかし
この問題のどちらも、描写文が四百~千二百字が必要である。双方とも、声は潜入型作者か遠隔型作者のいずれかを用いること。視点人物はなし。
①直接触れずに人物描写――ある人物の描写を、その人物が住んだりよく訪れたりしている場所の描写を用いて行うこと。部屋、家、庭、畑、職場、アトリエ、ベッド、何でもいい。(その登場人物はそのとき不在であること)
②語らずに出来事描写――何かの出来事・行為の雰囲気と性質のほのめかしを、それが起こった(またはこれから起こる)場所の描写を用いて行うこと。部屋、屋上、道ばた、公園、風景、何でもいい。(その出来事・行為は作品内では起こらないこと)

(後略)

 

問三①

 

 州立ミルワード刑務所内にある監獄棟第九二三号独房がその他の部屋に比べて優れている点といえば、風通しのよさにある。とはいっても内装は他とさして変わるところがない。牢の入口から入って右側には粗末なつくりの簡易ベッド。金属フレームは塗装が剥げ落ち、その剥げた箇所からは錆が滲み出している。よく見れば錆の中に切り込みがあり、内部に意図的なうろが作られているが、注視しない限り分かりようがない。フレームの上に置かれたベッドマットは垢と砂で薄汚れ、元よりいっそう暗いドガ風の青を彩色している。その上には、申し訳程度の薄い布団布を被り、ちょうど成人男性サイズの細長いズタ袋が横になっている。
 ズタ袋の中身は多量の土だ。水気がなく、細かく、赤茶けている。ズタ袋はむろん生物ではないため、息をしない。が、刑務所作業と内部抗争と己の運命で疲れ果てた多くの囚人が、音もなくこんこんと眠り込むさまをよく真似ている。
 入口の左手には金属製の洗面台、奥には便器がある。時々、気のふれた囚人がそれらに頭をぶつけて自殺を図るが(服とベッドシーツは首をくくるには粗末すぎた)、大抵はその必死の轟音を監視員に見つけられて終わるだけだ。便器は水栓式で、汚れた水路を通り抜けられるのはネズミ大の生き物が限界だろう。奥の壁にはやや高い位置に鉄格子つきの採光窓があるだけだ。窓際には希望制で借りることのできる古いポケット新約聖書と、木彫りの小さな象が置いてある。聖書は一部ページを破損していて、もう返却することはできない。
 隙間風は、窓からだけでなく、便器と床をつなぐ設置面近くの細い隙間から出入りしている。劣化したコンクリートには微かだが確かな切り込みが入れられている。汚水管の通り道は注意深く砂が排除され、狭い連絡通路が開通している。連絡通路は複雑に入り組んでいた。地下水路の仕組みは、州政府に安くで買い叩かれた工務業者が値段相応の真心で組み上げた無骨な迷路だ。複雑性はただそれに従った結果だった。精密機械が必ずしも精密には造られないように、ある種の人間の杜撰さが連絡通路の骨子だった。通路の先は町外れの荒野に開いていた。
 破り取られた聖書のページにはこう書かれていた。詩編32.5。

  わたしは罪をあなたに示し
  咎を隠しませんでした。
  わたしは言いました
  「主にわたしの背きを告白しよう」と。
  そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを
    赦してくださいました。

 採光窓の外は暗い。朝の点呼まではまだ二時間ばかり余裕がある。

 

 

〈特定停止時間を超過しました。安全確認のため周辺情報の自動走査を行います──〉
 目の形に嵌め込まれたフレネル・レンズの奥からサーチ用の微弱なレーザーが拡がる。緑の光線が視界の限りを数度周回し終えると、眼光は不意にふっと消えた。やや女性的な合成音声がコックピットのなかに木霊する。
〈──走査終了。周囲に危険性を感知せず。休眠モードに再移行します〉
 機体中央のブラックボックスに埋め込まれたメモリに走査情報を記録すると、巨大な兵器はその躯体をふたたび眠りの中に落としこんだ。座標──〈ビッグ・ノーウェア号〉内部、発着デッキ後方。レーザーは躯体の足元に眠りこける人間を数名捉えていたが、あらかじめ識別データを登録された人員であったため、アラートが発生することはなかった。
 対軍用巨大ロボット兵器である巨兵神騎ガルガンチュア・シリーズ、その最新機である〈パンタグリュエル〉機。艦内の夜間照明の中でも燦然と輝く青の装甲には傷ひとつなく、これまでの戦役を忘れたように見える。それはもちろん、機体の足元で眠りこける青年アマタ・オオゾラと、その近くに気絶するようにして同じく眠っている整備兵たちの必死の努力によるものである。彼らの着るツナギと手袋は一様に擦り切れ、機械油で汚れ、焼けこげ、獣臭をみなぎらせている。本来であれば〈パンタグリュエル〉操縦者であるアマタは最終整備を手伝う必要はなかったが、彼の義侠心とロボット・マニア気質、そして整備長の老人ケンゾウ・ヒイラギへの敬意がそうさせていた。無論、今後の戦況を予想していた艦長とその下の武官たちは反対した。それを取りなしたのは、アマタに拿捕されて以来、即席の遊撃傭兵として艦内に居座っていた初老の元宇宙海賊、パーキー・パーマだ。パーキーは整備の終わりを見定め、パワード・アームに取って代わられた右手で酒樽を抱え、デッキにやってきた。戦の前のささやかな腹ごしらえというわけだ。疲労に安上がりの月丸ワインはよく沁みた。誰も彼もが呑気に眠りこけているのは、そうした理由もあった。
 〈パンタグリュエル〉のすぐ側にあるコンテナには乗船員の一同が未来を託す秘密兵器が眠っていた。この数日のメンテナンスには、機体と兵装の同期に少なからぬ時間が使われた。人類の仇敵である〈ブラックライダー〉の光子兵装をぶち抜くには、この他に手はない。
 〈ビッグ・ノーウェア号〉率いる艦隊は地球に向けて着実に進んでいた。宇宙海域はいつもの通り静けさを湛え、そこに不穏の影はちらりともなかった。

 

雑感

・かなり「ほのめかしてなくないか?」「設定を羅列しているだけでは?」とツッコまれた回。その通りだと思います。個人的にいちばんパッとしない回答だったな、これ……。

・前者は「無人の空間がそのまま脱獄を示すカメラワークになったら楽しいかな」という発想、後者はかなり苦し紛れです。

・バトルものの終盤にある決戦前夜みたいなエピソード好きすぎるというのもある。

・二の固有名詞はこの辺。

 

 

 

〈練習問題⑩〉むごい仕打ちでもやらねばならぬ

 ここまでの練習問題に対する自分の答案のなかから、長めの語り(八〇〇字以上のもの)をひとつ選び、切り詰めて半分にしよう。
 合うものが答案に見当たらない場合は、これまでに自分が書いた語りの文章で八〇〇〜二〇〇〇文字のものを見つくろい、このむごい仕打ちを加えよう。
 あちこちをちょっとずつ切り刻むとか、ある箇所だけを切り残すとかごっそり切り取るとか、そういうことではない(確かに部分的には残るけれども)。字数を数えてその半分にまとめた上で、具体的な描写を概略に置き換えたりせず、〈とにかく〉なんて語も使わずに、語りを明快なまま、印象的なところもあざやかなままに保て、ということだ。
 作品内にセリフがあるなら、長い発言や長い会話は同様に容赦無く半分に切りつめよう。

 

題材:練習問題⑥-二作品目

舵の乗った小舟を海の方へ押していく:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題6 - 睡蓮亭銃声

 

回答:

 彼がやってきた時、わたしは興奮のまま文章を書いていた。久しく握っていなかった鉛筆を片手に、キャリアのない若者だったころのように書くのは楽しかった。
 新世界の秘密についての文章だ。気がつくと、かつてと異なる世界にわたしは立っていた。読書家であれば一度は夢見る、無数の本棚が夢幻のごとく連なる空間に。幸いにも、わたしの他にも人間の存在はあった。彼らの多くはここを「図書館」、自分たちを「利用者」と呼んだ。非「図書館」派にも少なからず出会った。カタコンベ世界樹……。書棚の大樹が並び、鬱蒼と暗いこの世界を、少数派であるわたしは「森」と名づけていた。
 わたしのいた区画は人気がなく、赤褐色の絨毯を踏みしめる音がよく聞こえた。やってきた男性は見知った人物だった。かつての世界では、とうに没した人でもあった。わたしは彼の著作を一作ならず読み、内容に驚き、目を輝かせ、時には理解に苦しんだ。衒学的な作風はけして理想とするものではなかったが、彼は間違いなく尊敬に値する先達であり、親しみの持てる数少ない同業者でもあった。
 似た感慨を向こうも抱いていたのかもしれない。本の中で出逢った仲だ、久しぶりと言うべきでしょう。わたしの挨拶に、彼はそう答えた。好々爺と呼ばれる老人に共通するこうした茶目っ気を、わたしはよく知っていた。彼らが意外なほど辛辣なことも。
 あなたの長編を読みたかった、と嘘偽りなく述べると、彼は笑ってごまかした。どうも執筆を邪魔したことに恐縮しているようだった。短い会見の終わりに「製本所」のありかをわたしに教えると、彼は慌ただしく去っていった。
 ほとんど一瞬の邂逅だったが、わたしは多くの知見を得ていた。幸運と言っていい。
 この出会いから連想したのは、人生のピリオドを自力で打ってしまった貴方のことだ。ここでならその続きが読めるのかもしれない。オリジナリティを備えた貴方は、この世界を何に喩えるだろう? キンタナ・ロー州の海? それに合わせるのならば舵を取るように、わたしは続きを書いていこう。目前に広がる余白の海に向かって。

雑感

・章の課題を終えるたびに次を読む形式でやっていたので、この課題に巡り合った時、「宿命的にこの回の回答を削るほかないやろ」と思わされてしまった。先取り約束機もしくはフラガラック。

・でも墜落死一族の話を削るのでもよかったかもしれない。

・トーンごと変える改造をして提出をすると、他の方はそういう舵取りをしてなかったので結果的に浮きました。ハハハ。

・あまり成功しない改造でしたが、意識していなかった自分の文章の強みについて指摘してくださる方が現れて、結果としては有益な冒険だったのかもしれません。

 

最後に

・くぅ〜疲れました。これにて文舵修了です。いや、本当はちょいちょい取りこぼしている課題もあるのですが、それはそれとしまして。

・文章が多少なりともうまくなったかといえば、わかりません。少なくとも自覚はないです。ただ、合評会というシステムが新鮮で、他人の戦略を参照できたり、気づいていなかった自分の美点を指摘される経験というのは、生きていく上での糧に代えられるものになったかな、という実感があります。

・見返すと、まあよくもこれだけ毛色の違う書き物ばっかりやってきたな、と我ながら呆れます。とりとめがない。確固たる自分の文体というものからは程遠い人間なのがよくわかります。

・数回遅刻はしましたが、どうにか皆勤できたのもよかった。まあこれは暇してたからですね。その節はご迷惑をおかけしました。

・合評会で講評してくださった皆様、忙しいなかグループの運営をしてくださった方々に、この場を借りて、改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

・この経験を今後に活かせたらいいよね、ハム太郎