睡蓮亭銃声

そしてロウソク。ロウソクがなくてはね。

まず舵をさわってみる:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題1−1

・読むべき本ややるべきことが山積して、しばらくTwitter見るのをやめようという気になっていたのだけれど、言いたいこともまた山積し、どうしようと思っていたところでほぼ死に体のブログがあるじゃないかと気がついた。

 

〈練習問題①〉文はうきうきと

問1:一段落〜一ページで、声に出して読むための語り(ナラティヴ)の文を書いてみよう。その際、オノマトペ、頭韻、繰り返し表現、リズムの効果、造語や自作の名称、方言など、ひびきとして効果があるものは何でも好きに使っていい――ただし脚韻や韻律は使用不可。 

 

 蟇雨(がまさめ)のゆふべに枯るる百舌鳥の声あれはおのれの仕業にあらず 木田寒素
 雨粒の屋根をたたく音に混じる時折りの異音へ耳をすませつ、他人様のふいに諳んじた句を口中でもごもご弄んでいる。曰く、駄句であるらしい。無教養だから今のが俳句か短歌かすら判らないと正直に言えば、相手は困ったようで胸元をそぞろに掻き、しばらくの後「五、七、五、七、七やから短歌ですわな」と応えた。呆れるでなく、呆れを隠そうと苦心しているのだと気づき、出会いの印象を改めた。
 教養の持ち主は須原という。今回の商談相手だ。鼻が脂でてらてら光り、獣臭さがスキージャンプの要領で鼻梁からこちらへ滑り飛ぶよう感じたのは間違いでないと思っている。仕事ぶりも脂ぎったもので、腑抜けた売り上げ見込みを明かした途端ナニワ調の突っ込みが鋭く飛びかかる。結局のところ相手方やや有利で手を打ったが、これは毛の生えたほどの新人に仕事を投げた本社が悪い。申せる訳は十二分ある。とはいえもうすこし悪びれる風でもいいのやもしれない。
 今回はこちらの出張だったので手頃な旅館をとっていた。すると商談後の酒席で押しかけていいかという話になった。近くに家があり、この辺の地酒を持ってくるということだったから無論歓迎した。只ほど美味い酒はない。しかしこちらが帰り着いて浴衣に着替えた途端どすどすと廊下を踏み散らしてきた須原の性急さには閉口した。彼はここやここと言いつ広縁のソファにどっかと腰掛け、こちらもそれに合わせて窓辺の酒宴となった。
 そうして積もった四方山話のなかで句はふいに暗唱された。
 あれ見てみんさいと須原の指さす窓の向こうは暗い夜の雨模様だったが酔眼をこするとなるほど雨滴に混じり降る異物があった。この地方ではこうして蝦蟇(がまがえる)が降りつむ時期があるのだそう。理屈か怪奇かは判らない。どだい気にされてないのだ。ここいらでは潰れ蛙を食膳に乗せることもありますのや。これが鳥みたいで案外悪ない。気色悪いの一方でほんの少し食指が動いた。落ちる位置が悪いと木の枝に刺さってはやにえの風になる。けどガマやから遠目にもごっつくてこの辺ではえせにえ言うんです。おおかた寒素はそれに材を取ったんでしょうな。
 去られて思い出すのは蛙の話だけだ。ソファに深く沈み込んで微睡ながら夜景を見るとなしに見る。晩年寒素は気を病んで落死したんですわ。不謹慎の輩が面白がって、詠んだ歌のごとく樹上に刺さっておった旨付け足したりしてほんましょうもな。窓外の中庭には石と苔ばかりのはずなのに木が見えた。暗がりから何かに覗き込まれた気がした。死にかけの蛙か俳人か。
 やや季ちがいの百舌鳥の声が遠くでするが夢かもしれない。ぎちぎちぎちぎち、あれはおのれの仕業にあらず。しかし今は怖いと言うよかただただ眠い。

 

雑感

・『風の十二方位』や〈ゲド戦記〉シリーズなどで有名な小説家、アーシュラ・K・ル=グウィンによる文章指南の本(上述)がつい先日発売され、そこで例示される実践的な練習問題や、ものした文章について語り合う合評会の具体的な運営メソッドなど、なかなか実践的な内容が話題になった。ので、Discordのサーバーに集まってこれをやろうぜ、というファイト・クラブな人々がにわかに寄り集まっていて、お誘いを受けたのでありがたく/おそるおそる参加させていただきました。ありがとうございます。

・実際にまず一問おためし気分でやってみて、筋肉のどの部分を伸ばすのかをちゃんと意識しながらストレッチを行う感覚で文章を書くことができたので、なかなか愉しかった。(使ってない筋肉を急に伸ばした時のメシメシいうような悲鳴が聞こえた気がする!)

・それが上記の回答例です。朗読もしました。

ル=グウィン先生は、合評会において作者は前もって言い訳したり、ひと通り自作について話し合われた後の弁解はするべからず、としています。とはいえそうするとこのスペースに書くことがほとんど無くなるので、合評会後の雑談気分で、あまり自虐的にならない程度にいくつか書いておきます。備忘録も兼ねて。

だいぶ前に高山羽根子先生が「蝦蟇雨(がまだれ)」という掌編を書いていて、不思議に印象に残ったことが遠因となってこんな文章が出現したのでした(これは出自を言っとかないと流石にリスペクトを欠くなと感じたので、合評会の場でも明言しました)。ファフロツキーズ現象、心を打つものがありますよね。高山羽根子先生の書く、要約の難しい物語たちも。

・冒頭の短歌は韻律にあたらないか事前にサーバー内の方々に問い合わせて話し合ってもらったところ、部分的にであれば(五七五調で全体を支配する、といった極端な事例でなければ)大丈夫なのでは、という判定を事前にもらったのでした。色々調べてくださった方々、ありがとうございました。

・なんか駄句なりに自分で短歌詠んでみたいなという気分になったのは、直前に読んでいた本や漫画のせいです。 

・その作品群で主に取り上げているの、俳句では? と思った方、その通りです。情報を俳句の文字数に圧縮するの、めちゃくちゃ難しい。……なんか別の課題にも手を出し始めていないか?

・前半でカッコ書きを使用しているのに後半で須原の発言がカッコに括られていないのはどうしてでしょうか? という疑問が挙がって(言われてみれば当然の疑問ですね)、「語り手は時間(文章)が進むにつれて酩酊して、なおかつ眠くなってきているので、そこを表現しようと……」と苦し紛れの弁解をしたらウケてしまってちょっと罪悪感を抱いています。書きながら村上春樹の「眠い」という掌編を思い出していて、そうしたギミックをまったく意図していない訳ではなかったんですが、とにかく、なんとなく書いて終えるのは駄目でしたね。

・ほら、弁解している……。

・このまま自作に関して書いてると反省会になってしまうので打ち止めにします。

・それはさておき、他人の書いた文章から良いところを掬いとったり、自作の思わぬところを褒められたりする合評会、スリリングであり安心もできる進行だったのでとても良かったです。ル=グウィン先生の規定したレギュレーション、なかなか厳正でこちらも緊張するのですが、駄目な糾弾の場にならないよう細心の注意がはらわれている……。

・参加した方のうち一人が、「どうにも掌編的なオチを作ってしまいそうになるけれど、この練習問題に参加するにあたっては、むしろ『長編小説の任意の1ページから抜き出したような』書き方をした方が問題の意図に沿っているのではないか、と思った(うろ覚え)」といった旨の発言とそれに伴う実作をなさっていて、個人的にはすごく眼から鱗が落ちました。ルールの真意をよく読み取らんままデスゲームに参戦して無残に死ぬ人になってしまった感がある。

・俳句と朗読、という点でふと気になって『ミステリーの書き方』を開いて、「Q.推敲するときに気をつけていることは何ですか」の項目で「音読」を挙げていた作家のうち、北村薫北森鴻倉阪鬼一郎の三氏はそういえば俳句についての本を書いているな、と気がついたり。 やはり詩歌に触れていると文章のセンスは鋭くなるもんなのかな。

・それくらいでしょうか。以降の練習問題もがんばって取り組んでいきたい所存です。