アニメ映画版『神々の山嶺』を観た感想 または私は如何にして心配するのを止めて夢枕獏を愛読するようになったか
※この記事は『神々の山嶺』の展開に関するネタバレを含みます。
夢枕獏にはまった男は語る
どうして今更、夢枕獏にはまったか聞きたいって。
いいよ。
そんなに面白い話にはならないと思うけどね。
でも、なんでそんなことを聞くんだい。あんた、物好きってよく言われるだろ。
ああ。
そういえば最近、『神々の山嶺』がアニメ映画化されたそうだね。それも、フランスで。
フランスは谷口ジロー先生をものすごく評価しているからね。
なんなら、本邦よりも尊敬されていたりしてさ。
なるほど。
その感想を書くのにかこつけて、来歴を記録しておきたいってことか。
そうだな──
まず、最初の出会いは大学生の頃だ。
『上弦の月を喰べる獅子』だったと思うな。
ものすごい作品だよ。あんた、読んだことあるかい。
ぶったまげちまうよ。
ふたりの男がいるんだ。ひとりは、元戦場カメラマンの螺旋蒐集家だ。この男は、螺旋に取り憑かれて、世界に散りばめられ、存在する螺旋をリストアップし、喜悦に耽ってる。
もうひとりは、なんとあの宮沢賢治先生だ。
そう、『銀河鉄道の夜』のだよ。あるいは、『注文の多い料理店』のね。『春と修羅』の、でもいいぜ。
そんなふたりが、螺旋の導きによって、ひとりの人間として融合し、須弥山の形を成した異世界に目覚めるんだ。正反合一、ってやつなんだろうね。難しいこと、わかんねえけどさ。
そして、ひたすら上を目指しはじめる。
とんでもないだろ。
でも、これ、まだ物語の半分も説明しちゃいないんだぜ。
上巻を読み終えて、いてもたってもいられなくなって、すぐさま下巻を買いに行ったよ。
こんなとんでもないスケール感のSFって、日本でも産まれえるもんなんだ、って感動したな。
読んでないなら、読んだほうがいいよ。
でも、その時は、今みたいにハマりはしなかったんだな。
なんでかは、自分でもよくわからない。
それから、『餓狼伝』や『神々の山嶺』のコミカライズも、前後して読んでいたと思うな。『餓狼伝』は、板垣先生のほう。
漫画を読むの、好きだからね。
あとから夢枕先生も漫画を読むのが好きだって知って、なんか、自分のことのように嬉しくなったりもしたっけね。
それでも、夢枕先生の存在は、一度、おれの中を通り過ぎていったんだ。
強烈な印象を残してね。
あるいは、防御を崩し、破壊のきっかけになる、鋭い初撃を喰らったのかもしれないね。
それからどうしたっけな。
合間にエッセイとかも読んだな。
おれ、古本屋で古本を漁って読むのも好きなんだよね。
でも、ちゃんとはまるきっかけになったのは、やっぱり『ゆうえんち』だな。
ちょっと、話を脱線するよ。
大丈夫、大丈夫。ちゃんと関係のあることだから。
おれ、趣味で文章を書いたりするんだよね。
趣味だよ。お金をもらえるような、たいそうなことは書いちゃいない。思いついたことを、書きたいままに書く。
いわゆる同人小説ってやつだね。それを、その当時も書いてたんだ。
で、えらく筆が止まっちまってさ。
笑ってくれよな。
スランプだなんて言葉を使うのもおこがましいくらい、素人の話なんだから。
それで、ある時、締め切りから目を逸らすように飲み会に参加していたんだ。
その場で、おれよりもっと文章が書ける、文章でお金を稼いでいる人が言うわけだよ。
『ゆうえんち』を読むと、書けるようになるかもしれないぜ──ってね。
いたずらっ子みたいに笑いながら。
冗談だと思ったよ、その時はさ。
でも、藁にもすがりつきたい気持ちでなんとなく、一巻を買って読んでみたんだ。
そしたら、書けたんだよ。
言ってるこっちも、冗談みたいな話だって思うよ。でも、本当のことさ。
内容も、ぜんぜん関係がなかったのにね。きっと、何かの栓を、すぽっと抜く役割を果たしたんだろう。
ピンボール・ゲームに関するお話さ。
ま、おれが書いた文章の話はいいんだ。
興味があれば、読んでくれると嬉しいけどね。
おれが本格的に夢枕獏にはまったのは、この『ゆうえんち』のおかげだ、って話だ。
『大乱闘スマッシュブラザーズ』、知ってるだろ。
あれさ。
あれを『刃牙』シリーズでやっちまったのよ、この御大は。
範馬刃牙。
花山薫。
その他のキャラクターであれば、誰だって登場させていいバーリ・トゥード。
『獅子の門』の久我重明だって、当然のごとく出てくる。
『餓狼伝』のあいつとかもね。
もちろん、『刃牙』のキャラクターたちの存在感だってすさまじい。
柳龍光、いるだろ。
最強死刑囚編のさ。毒手や、空道。鞭打。それから暗器だって使える、あいつ。
あいつ、なんでもう一度捕まってるんだろ。捕まったとして、どう捕まえたんだろ。
もちろん、捕まえたやつがいたんだよ──
誰だと思う? それはね──
そんな話さ。
ページを捲る手が止まらなかったね。
こうやって話してる口調も、これの真似っこなんだぜ。
『刃牙』の途中で編み出された、インタビュー調のカメラワークで強者の関係者が語る演出、あるだろ。
「やっぱりあなた達はワカっていない。花山薫という人物を──」
あれだよ。
それがまた面白えんだ。
痛快だし、ワクワクする。
『ゆうえんち』から先は早かったね。
そのすぐ後に、『遙かなる巨神 夢枕獏最初期幻想SF傑作集』と『瑠璃の方舟』を読めたのも運が良かった。古本、昔からずっと買い集めてて良かったな、って感じの巡り合わせだったよ。
『遙かなる巨神』はデビュー前の同人小説から、デビュー短編、あとタイポグラフィを使った掌編小説を扱ってる。
これを、今のおれと同い年の青年が書ききっちまったのか──
気が遠くなったよ。恥ずかしくなって、布団ひっ被って寝ちまおうかとも思った。
矢作俊彦先生に出会っちまった大沢在昌先生の気持ち、よくわかったよ。
もちろん、悪い意味で同人誌らしい、ひとりよがりな短編もある。
でも、すでに夢枕獏は夢枕獏として完成していたんだな、そう思える風格のある傑作短編もいくつか収録されている。
ここに入っている「山を生んだ男」を読んだ書評家の北上次郎が激賞し、夢枕は山岳小説を書くべきだ、といったのが後年の『神々の山嶺』、そしてその他の「登攀し、上の世界を目指す」話につながったんだしな。
『瑠璃の方船』の方もすげえぜ。
これ、半自伝「風」小説なんだよ。嘘みてえな、夢枕青年らしき人物の青春が描かれる。
主人公の男の半生に、ずっと出ずっぱりの悪友がひとりいるんだが、これまた強烈なキャラクターなんだ。
『長いお別れ』のテリー・レノックス、そこに『天牌』に出てくるような、目つきが鋭くて、麻雀がうまい、しかしどこか破滅の予感を漂わせている博打うちを足してみるといい。
そんな感じの、将棋の真剣師で食っている友達がいたって言うんだぜ。
小説よりも小説した人生じゃねえか。
実際、小説に仕立ててはいるらしいんだけどさ。でも、夢枕先生、『風果つる街』って真剣師の小説、書いてんだよな。きっと、ある程度はホントにあったことなんだろう。
そんな夢枕青年、風人物の『アオイホノオ』物語なんだから、これは読んでいて元気も出るってもんさ。
創作してる人は読んでみるといい。
あとがきで、椎名誠の私小説作品を読んで、コツがわかった、ってようなことが書いていて、おれ、思わず笑っちゃったよ。だって椎名誠も好きだったからね。
この読後の既視感は『哀愁の町に霧が降るのだ』じゃないか、って。
それから、
『秘伝 「書く」技術』
『幻獣少年キマイラ』
『餓狼伝』
『陰陽師』
『涅槃の王』
『獅子の門』
と、読んだよ。もちろん、シリーズを読破したわけじゃない。おれ、そこまで速読家じゃないしね。
最初の巻をいくつか、広く浅く、読み進めてただけさ。
あといくつか、コミカライズ作品も読んだ。
獏先生が激賞するから、山田正紀先生の『神狩り』も寄り道気分で読んだね。
これも、とんでもなくおもしろかったぜ。
しっかし、なんて馬鹿でかい沼に嵌まっちまったんだろうなあ。
ま、でも、愉しいよ。
まだまだ読めてない作品があるんだ。
きっと、死ぬまでに全部読めやしないだろう。
それでも、ずうっと、読んでいたいなあ──
そんな気持ちになるよ。
*
『神々の山嶺』は大作である。
文庫版で、五〇〇ページサイズの上下巻。
谷口ジローによるコミカライズは、文庫で全五巻。
これを再構成して映画の尺にするという作業は、とてつもなく難しい。
物語そのものがさまざまな要素を複雑に抱え持っている、というのもある。
まず、物語の視点人物となる、カメラマンの深町誠。
彼は中年にさしかかり、最後のチャンスという思いで組んだ同志がエヴェレストで滑落する瞬間を目撃してしまい、思いを寄せていた女とは決定的に心が離されている。肝心なところで状況に結論を出してもらう自分を歯痒く思い、焦燥感を抱えながら、マロリーのカメラ、そして羽生丈二を追い続け、ついには山登りまではじめる、複雑な男。
そして、彼が追うふたつのもの。
ヒマラヤ登攀者であるかもしれない歴史的人物、ジョージ・マロリーの私物らしき古物のカメラ。そしてその来歴を知っているらしい、消息不明であったはずの伝説的な登山家・羽生丈二。
そこに、カメラをめぐるネパールのブラック・マーケットでの冒険小説的な攻防が挿入される。
もちろん、この物語の肝心の点は登山だ。あるいは、山だ。
だが、山に吸い寄せられる男達の道程を、この物語は微に入り細を穿ち、表現している。
それを、たった九十四分で再構成できるものなのか。
ジョエル・ダヴィドヴィッチ・ポンポネット監督*1じゃあるまいし。
そんなぐちゃぐちゃと縺れた思考のまま、男は緊張した面持ちで、映画館の暗闇の中に身を浸していた。
そんな男の勝手な不安をよそに、スクリーン上では驚くべき手際で『神々の山嶺』が圧縮・再構成され、映写されていた。
清々しいまでの取捨選択であった。
冒頭からその潔さは剥き出しになっている。
マロリーについての簡単な描写シーンが終わり、深町が登場する。ネパールのバーの片隅、やさぐれた雰囲気で雑誌の編集長に電話をかけている彼は、どうやらエヴェレスト登頂に失敗し、しょっぱい記事しか書けないことに燻っているらしい。そのやりとりをそばで聞いていたチンピラが、深町にあるものを見せ、商談を持ちかける。これはマロリーのカメラだ。特ダネになる。深町はすげなくその男を追い払うが、そのしばらく後、路地裏で荒々しくチンピラからそのカメラを取り返す男の姿を深町は目撃する。一瞬の光に照らされたその顔、指の二本欠けたその手は、間違いなく、伝説の登山家・羽生丈二その人であった。深町は、そんな確信を日本に持ち帰り、羽生の半生について調べ始める──
原作小説、あるいはコミカライズ作品を読んだ方は、すでにお分かりだろうと思う。
マニ・クマールの登山具店の存在がすでに取り払われているのだ。
羽生のネパールでの通名、「ビカール・サン(毒蛇)」も言い表されない。
深町も、最初から確信をもってあれは羽生だと看破している。
このように、映画はかなり思い切りよく原作を切り詰めていく。
南西壁アタック直前、羽生が装備品を念入りに点検し、極限までに重量を切り詰められたその物品一覧に深町が驚く、地味ではあるが印象的な、あのシーンを浮かべてもらいたい。
ノートの表紙まで、「考えてみればこれもいらないな」と破り捨てる羽生の執念が、映画製作者たちにも宿っているようだった。
鬼スラ登攀成功後の「考えてみれば、おれ一人で登ったようなものだな」、岸文太郎の登場、ザイル・パートナーについての「おれなら切れるよ」という発言、長谷常雄との交錯。
これが一晩の飲み会ですべて行われるのだ。
リアルタイム・アタックだなんて茶化すような気持ちは湧いてこない。ただ、鬼気迫るような切り詰め方に、息を飲まされる。
岸涼子との恋愛関係も発生しない。彼女はただ、文太郎の死を嘆き、やがて羽生を赦す、「深町の取材相手」のひとりとして出てくるのみだ。羽生はネパールにおいて、ひとり寂しく暮らしている。
羽生の半生──鬼スラの成功、文太郎の死、グランドジョラスでの奇跡の生還劇、ライバル視していた長谷の事故死。それらを深町は執念深く調べ上げ、体力づくりをして再度ネパールへ向かう。
そして原作後半部のエヴェレスト南西壁アタックにつながる。羽生のサポートとして現れるアン・ツェリンも、この作品ではひとりの親切で経験のある老人として息を潜めている。
そうした登攀ルートは、それこそ羽生のやる山のように、危なっかしく、見ていられないようだが、最短ルートを迷いなく進んでいる。鬼スラ、屏風岩での失敗、グランドジョラスのサバイバル、そしてエヴェレスト。そこに描かれる登攀の息詰まるようなサスペンスは的確だ。
そして、羽生は頂上を踏み、深町は羽生のシンプルな遺言が書かれた紙で包まれたマロリーのカメラ(最初からフィルムは入っている)をアン・ツェリンから受け取り、下山する。
そうした様子を眺め終え、暗闇から解放された男は、複雑な顔をしていた。
ほぼ完璧な取捨選択だったといっていいだろう。
ストーリーが破綻しないぎりぎりのところまで、張り詰め、駆け抜けている。
ディテールは抜群にいい。
取材旅行から帰ってきた深町のいる、一九九〇年代後半らしき日本の風景は、おそらく完璧といっていいように思う。「海外から見たエセ日本」らしき緩みはまったくない、かつてあったろう日本のどこかの風景だ。
居酒屋を出てきた羽生が、長谷におだてられ、高架下で鬼スラをやっつけた様子を事細かに語るようなシーンなんかは、オリジナルのはずなのに、原作にあったような気がしてくる。高架を走る電車の光に照らされ、登攀を身振り手振りで再現する羽生。そのライティングは素敵だった*2。
もちろん、山を登る描写もとてもいい。音響はかなり気を使われていて、羽生に置いていかれ、足跡を辿りながらエヴェレストを登ってゆく深町の耳に届く静謐さ、そしてふいに襲いくる雪崩や落石の音は、見聞きしているこちらも思わず緊張するほどだ。
山岳事故が本当にあっさりと起こり、取り返しのつかない状況や、致命的な重傷を招く怖さも肌で感じることができる。
高山病の描写は震えるくらいおそろしい。
羽生と深町が装備品を整え、自宅を後にする姿が交互にザッピングされ、そこにジャズのフリーセッションのような高揚した気分を表現する劇伴がつくシーンはとてもいい*3。
パンフレットにある評論家の藤津亮太氏の寸評も、的を射ているように男には思えた。
「難題に挑み、見事に成功した」。
その通りだろう。
その一方で、削られたものの多さに、寂しくもなった。
本作は、深町のかすかなボイスオーヴァーのモノローグと、ラストの羽生の遺書のほかには、基本的に外面描写によってのみ内情を描く、小説でいえばハードボイルド調の作りになっている。
映画という媒体では、そうならざるを得ないところはあるだろう。
主人公がべらべら語りすぎるというのは、かなり冒険のいる演出だ。
だが一方で、そうあることによって、『神々の山嶺』の明確な美点である、夢枕獏の語りの多くは削られてしまっている。
発明的なアイデアであり、ものすごい印象をのこす羽生の手記も存在しない。
そしてまた、この欠落は、ひとつ大きな欠点を作っているように、男には感じられた。
深町誠という人物のアイデンティティが、映画では不明なのだ。
原作のくどいぐらいの筆致は、深町誠という決断のできない人物が、羽生丈二という男の存在に狂おしいまでに魅了され、山の濃い時間に中毒になり、ついには羽生を追ってエヴェレストに登ってしまう、その道程に納得がいくよう、注意深く心情の動線が作り込まれている。
ふつうの人間は、特ダネのためにエヴェレストはやらない──
だからこそ、彼はふつうでなくなっていく。
この映画の深町は、かなり飛躍した推理を何度も当て、羽生の南西壁アタックを予想し、体力を整えて再び飛ぶ。ビカール・サンと羽生丈二の同定を何人もの取材によって行い、長谷の遺稿からネパールでの二人の出会い、ひいては羽生の計画を推理する、そんな鈍重な過程は踏まない。大使館に連絡し、雑誌のバックナンバーや古書を漁る。瀬川加代子への未練もなく、井岡と船島が滑落する瞬間を目撃しているわけでもない。山、そして羽生へのシンプルな執念が、彼を駆り立てているように見える。
ただ、それでは、理解はできても納得はしづらい。
この物語は、マロリーのカメラという物理的な道具と、羽生丈二という登山家を奮い立たせ、存在を証明する深町誠という役割としてのカメラがふたつとも、機能していなくてはいけない。
深町というカメラが存在しているからこそ、物語上で不意に現れる羽生の手記、そこではじめて明かされる羽生丈二という人の内面に驚くことができる。
そうしたカメラ的役割を深町が十全に果たせていないように思えるこの映画は、果たして初見の人間、『神々の山嶺』という物語をまったく知らない人が見て、じゅうぶんに納得できるものなのだろうか──
考えても詮ないようなことを、男は思うのだった。
それに、羽生や深町が山で見る幻覚は、はっきりとうまくない演出のように男には見えた。原作において、不気味に羽生を死へ誘う岸文太郎の幻覚は、映画においては分かりやすく安っぽかった。死を目撃していない深町が、登攀中に見る幻覚は、嵐の吹く方向から視界中が赤くグロテスクに染まってゆく、悪夢的な風景だ。ただ、そこに至るまでの高山病の悪化によるダメージの表現が妙にデジタルであったことを含めて、男にはそぐわない描写と受けとった。
長谷の死因である、あっさりした風であるが故にかえって強い印象を残す、山中での雪崩から走って逃げる光景をエヴェレストの深町に移行させるのも、チグハグな気がした。
細かい話だが、深町誠の家の本棚に松本大洋や寺田克也の画集がありそうにもない*4、という点も引っかかった。
羽生の表情も、全体的にやわらかい。
そこまで考えて、男はふと、無性におかしくなった。
どうした、おれはそこまで夢枕獏による原作が大切なのか──
よくできた映画化の粗探しをしてしまうくらい、神聖視しているのか──
ふっと、男の方から力が抜けた。
いいじゃないか。
がっぷり取り組んで、一定の成果を出していたんだろう。
おもしろかったろう。
パンフレットまで、熱心に買っちまってさ。
しかし──
この割り切れない気持ちはちゃんと抱え、忘れずにいよう、と男は決心したのだった。
*1:
https://pompo-the-cinephile.com
*2:長谷が脚光を浴びてゆくことで、羽生が仕事する登山用具店に長谷の広告が現れる対比の演出も残酷で良かったけど、一方でその直後、羽生を取り囲む背景の店→ビルが次々消灯していくのはちょっと演出過多だったような
*3:『コマンドー』の武器装備とか、『キングアーサー』のアーサーがスラムの少年からマッチョな青年になるまでの過程のシーンが好きであれば、たぶん間違いなく好きになるように思う
*4:「作中の深町の本棚が映るシーンでは、スタジオジブリや寺田克也さん、松本大洋さんの本が並んでいる。居酒屋ではロック・パイロットの曲が流れている。「これらを描写したのは、もちろん、日本の偉大な漫画家たちへのオマージュです。気づいていただけたというのはすごく嬉しいです。最も好きなアニメ映画は、高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』です。」と監督が嬉しそうに話してくれた」(「ジブリ、寺田克也、松本大洋など日本の偉大な漫画家たちへのオマージュ 映画『神々の山嶺(いただき)』監督メッセージ動画&インタビューが公開」
https://otocoto.jp/news/kamigami0707/2/
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