舵で水を押しのけてみる:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題4-1,2
これまでのあらすじ:
〈練習問題④〉重ねて重ねて重ねまくる
今回は〈
筋書き 〉は提示できない。練習問題の性質上、無理だ。問一:語句の反復使用
一段落(三〇〇文字)の語りを執筆し、そのうちで名詞や動詞または形容詞を、少なくとも三回繰り返すこと(ただし目立つ語に限定し、助詞などの目立たない語は不可)。(これは講座中の執筆に適した練習問題だ。声に出して読む前に、繰り返しの言葉を口にしないように。耳で聞いて、みんなにわかるかな?)問二:構成上の反復
語りを短く(七〇〇~二〇〇〇文字)執筆するが、そこではまず何か発言や行為があってから、そのあとそのエコーや繰り返しとして何らかの発言や行為を(おおむね別の文脈なり別の人なり別の規模で)出すこと。
やりたいのなら物語として完結させてもいいし、語りの断片でもいい。
問1
ひとつぶの砂で砂漠を語るのは詩人か詐欺師だが、ひとひらの貝殻で海岸を語るのが海洋学者だ、というのが伯父である登志史さんの言。正直な話、キザすぎてあまり受けつけない。第一、小学生のときに私が近所の海で拾い集めた、桜貝のぎっしり詰まった小瓶を眺め、鎌倉にでも行ってきたのと検討はずれなことを尋ねてきたでしょ、と思う。そもそも、あの日は登志史さんも一緒だったのに。そう愚痴ると、伯母の詩織さんは困ったふうに笑った。たしかにあの人、そういう抜けたところあるよね。登志くん、そういえば付き合う前は酔っぱらうとすぐ、彼女にするなら佐倉がいい、ってしつこく言ってきたな。よく空耳するの。照れながら言う詩織さんの旧姓は佐倉で、だからそういうとこ、と私はイーッとなる。そんな伯父さんはいまインドの大学に招聘されてて、春になるたび、私は彼の不在による空白をなでさするかのように、引き出し奥の桜貝の小瓶を取りだす。栓をぬけば淡く海が匂う。
問2
フールスモークという苗字を受け継がされたからにはせめて高いところを目指す途中で死にたいと思っている。エヴェレストの岸壁で氷塊かその砕けちった欠片となっているであろう曽祖父がすべての元凶である。われら一族は呪いでもかかっているかのようになにかしらの形で天まで登ろうとする。祖父はある小国の政治的頂点に立とうとしたが対立候補の怒りを買って暗殺された。宇宙開発事業に就いた母は労働災害によって虚無の星空に命綱もなく投げ出され、そこそこ有害なデブリに身をやつすことになった。生物学的性質なのかもしれない。せめて潜性のものであってほしかったと心から願うことはままあり、たとえば一族の中では変わり者とみなされていた従兄などは同じような文言を呪詛のように連ねた遺書を遺してから飛び降り自殺をしていて、それでもマンハッタンの高層ビルのかなり高いところからの飛翔であったためにこれを悲喜劇のどちらに扱えばいいのか親族一同、集まるたびに論争している。私はどちらかといえば悲劇派で、従兄の怒りや怖れといったものにかなり同意するたちである一方で、今ここ、現在地についてを考えると死んだ従兄には侮蔑される対象なのだろうなとも思う。
足元を見下ろす。出立した地平は、もう雲に隠れて見えやしない。
一族の中でもずば抜けて優秀だった私の姉はその美貌と弁論術で巨額の投資資金をぶん取って、悠々と軌道エレベーターの着工に取りかかり始めた。親族一同もその手があったかと彼女を称賛し、また歯がみして悔しがった。ゴシップ誌は姉を面白おかしく取り上げて「女ガウディ、バベルを建てんとす」などと囃し立てた。私なんかはその記事を読んでなるほど上手いことを言うもんだなあと感心したものだ。一度差し入れを持っていった際に事故が怖くないかと尋ねると、「あたしは馬鹿じゃないし、煙だったら落ちることはない」と煙に巻かれた。
着物の気密性をほんのすこし緩くして、外の冷気を取りこむ。目が冴える。食事用チューブを呼び出して腹ごしらえを済ませ、気合を入れ直す。表示されるステータスには異常なし。よし。まだまだ先は長い。
姉のバベル計画がおかしな方向に進み始めたのはつい最近のことで、それまで私は着物、つまりたった今装着しているパワード・スーツによる補助付きのエヴェレスト未踏ルート登山を企てていた。半自走的に塔の先端を組みあげるのに姉が付き添うなか、ある高度を境にふっと通信が途絶したというのだ。内部のエレベーターを通す作業はその仮組みからかなり遅れるため、彼女はきっと成長を続ける塔の頂上で今も孤独に生きているかあるいは死んでいる。まず何より餓死するのでは、と同僚に聞くと、半永久的な植生サイクルの野菜食の開発と、人体改造による栄養補給効率の上昇でなんとかしてるよ、と気味悪そうに答えられた。自分すら人を人とも思っていない姉らしいやり口である。
とはいえ、そんなまま放置していてもあれだろう、ということで私は登攀先を山から塔に替えた。正直なことを言えば、あんた何してんだ、と出来のいい姉を一度嗜めてみたかった、というのもある。
開発チームの呆れ顔をよそに、着物の仕様を一部変更し、宇宙服の様式を組み込む。用意ができれば、エレベーターの完成部分まで乗り、そこからアタックする。残念ながら地球上空の域をまだ出ていなかったが、仕方がない。
そうしてしばらく登り続けた。
地図を呼び出すと宇宙空間まではあともう少し、というところだった。そこでアクシデントにぶつかった。文字通りに。目視できない高速の落体が体をかすめ、身体が中空に吹っ飛ばされる。ザイルが衝撃と落体の熱で溶け千切れる。
おそらくは隕石だろう。でももしかすると母の死骸かもしれない。
嫌なことというのは往々にして連続する。雲上の強風が私を弄び、背を塔に強打する。とたんビープ音と警告表示が視聴覚にがなり立てる。重篤な生命の危機。どうもパラシュート機能が死んだらしい。
不思議と冷静な頭で高度を確認する。きっと市井の人間であれば目を剥くような高さまで手を伸ばすことができていたようだが、残念ながらこの家にはこれ以上に飛び上がったものがたくさんいる。フールスモークという苗字を受け継がされたからにはせめて高いところを目指す途中で死にたい。その願いはどうやら中途半端な形で実現されそうだ。従兄は苦笑いしているに違いない。お前にも自由意志はなかったんだなと。姉は私を見下ろして落ちて死ぬならただの馬鹿だと結論づけるだろう。人生のラッシュ・フィルムが忙しく編集されていく。
瞬きのうちに雲に穴を開け、地平がもうそこまで見えはじめる。見渡す限りの農地で、池ポチャ狙いは無理そうだ。遺言送信機能をつけておけばよかったのかもしれない。私はつくづく一族のできそこないだ。
目を閉じる。
衝撃──ただし予想外にふんわりとした。スーツから巨大な風船のようなものが膨らんで、エアバッグの要領で助けられたのだと数秒して気がついた。開発チームのおせっかいに助けられたのだ。
風船はすぐにしぼんで、トウモロコシ畑の中心に置き去りにされる。ずいぶんと畑を荒らしてしまったようだ。
すこし離れても悠然とした姿で屹立する塔を見上げる。
「再アタックの時はミスらない」
決意を口にしてみる。煙ではないが、死なない馬鹿ではあるに違いない。フールスモークという苗字を受け継がされたからにはせめて高いところを目指す途中で死にたいと思っている。
雑感
・だんだんとしんどくなってきましたね。私個人は講義のつもりで章ごとに読んでいるので、通読した方々から「この先もっとしんどくなるぞ」とバトル漫画における修行パートでの師匠の脅し文句めいた忠告に震えています。
・問2は700〜2000字でよろしいという話なのに勝手にそれ以上書いているせいもある。
・問1は完全にスベった/失敗した。注意深く読むか音読してもらうかすると2回目の繰り返しに気づくと思うんですが、まず目立ってない時点でだめですね。
・ちょっとしたネタがなく、その時にちょうど兵庫の貝類館について思い出していたことからニュッと出てきています。いい博物館です。兵庫の海辺の博物館、どこもいいとこだらけ。
・あと読んでいないけど覚えている本のタイトル……。
・他の方はもっと意識的に繰り返しで遊んでいただけに、ちょっと悔しい。
・問2は大苦戦した上でいつものごった煮のような話になりましたが、ややウケでよかった。
・『創作する遺伝子』を読んで『DEATH STRANDING』めっちゃやりて〜という気持ちになったものの、そもそもPS4もお金もないことからくる怨念がたぶん発想の原点にありますね。パワードスーツ。
・あとこの辺の。「キモノ」は完全に月村了衛先生というか〈機龍警察〉からですね。アオヤマくん、こういうやり方ぼくよくないと思うよ……。
・「エヴェレスト登頂における未踏ルート登山だとか無酸素登山に比べて、パワードスーツを利用した登山って競技的な難易度が下がってません?」というまっとうな疑問をいただいて、うまく答えられませんでした。そのへん、ほら話なのでよく考えていなくて……、と逃げをうつと「ほら話だからといって細部に手を抜いていいってわけじゃないと思うな」とその場でいちばんほら話のうまいであろう人に注意されてしまい、はい、それはその通りです。猛省。
・あと、みなさん思っていたより変ちきで愚かしい一族の話ってお好きなんですね。知らんかった。そういうジャンルのいい作品があればご教示いただきたいです。
・以降の練習問題もがんばって取り組んでいきたい所存です。