睡蓮亭銃声

そしてロウソク。ロウソクがなくてはね。

どうでもいい、無機質な風景についての雑文

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アニメ『戦国コレクション』14話より 洗濯機を覗き込む沖田総司


 

洗濯機見ると落ちつかん? 中でグルグルと回ってるの……

──リゼ・ヘルエス*1

   時々ほんとうに理由もなく落ち込んで、何もしたくなくなる時がある。少なくとも、わたしにはそういうタイミングがままある。やるべきことも、とりたててやらなくていいことも、どうにも手につかない。とはいっても、そのままぼんやりし続けていることを許されるような立場でもないし、経済的余裕もない。どうにか近いうちに、このままならなさを脇へどけてやらないといけない。……と思えば思うほど余計にダメになっていく。そういう悪循環の螺旋階段を知れず降り続けていることに、ある日ふと気づく。

 そういう時には洗濯機の回転をじっと見ていると、少しだけ、ままならなさが和らぐ。

 家にある洗濯機はドラム式の、回転部分が斜めに傾いだタイプのものだ。ドア部分が透明なガラスになっているので、家族の洗濯物を入れ、所定量の洗剤や柔軟剤をセットし、「わが家流」モードにしてスタートのスイッチを押すと、ぐるぐると回転する靴下やブラジャーやボディタオルやTシャツのありさまが薄暗く見て取れる。といっても、気晴らしに洗濯機を回すんだもの、そんなタイミングで洗濯物が都合よく溜まっていることはあまりない。それに思い悩むのは大概が真夜中だ。真夜中に洗濯物を入れてスイッチを押せば、わたしだけでなく、騒音に飛び起きる隣人もまた悩める人となってしまう。

 自分以外の悩める人はあまり増やしたくない。

 だから白い洗濯ネットをいくつか入れて、「槽洗浄」モードでこっそりと起動するのがいい。開始ボタンを押す前に、洗濯物カゴを脇にどけ、リビングから一人用の椅子と缶ビールを一本、そしてグラスを持ってくるとなおのこといい。洗濯機の置いてある脱衣所の床は防水性だから、胡乱な気持ちになってビールをこぼしたり、グラスに蹴躓いたりしても平気だ。引き戸を閉め、洗濯機のドアの前に椅子を置き、グラスを傾けつつスイッチを押す。静かな駆動音が脱衣所に響く。暗いドラムの中を洗濯ネットが舞う。もっと多機能の最新型洗濯機には、ドラム内部を照らすライトのついてる物もあるんだったか。ちょっと羨ましい。とはいえ、こういう時はこのうす暗い程度の光量がいいのかもしれない。

 洗濯機の中の回転体は、不思議と心を落ち着かせる。小説や映画の中でコイン・ランドリーの でるシーンがあると嬉しくなるのはわたしだけなのだろうか? 『ベイビー・ドライバー』の見目麗しい恋の一幕や、『パターソン』の街場の詩人と出会うくだり……。

 

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パターソン(字幕版)

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 こういう密かな愉しみは、実は意外と多くの人が隠し持っているのかもしれない、と最近になって思い始めている。

 この文章を読んでいる方にも思い当たるふしはないだろうか? 

 

グラスホッパー (角川文庫)

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 伊坂幸太郎の『グラスホッパー』は様々なプロの殺し屋、悪党が出てくる、シニカルでスリリングなサスペンス・ミステリだ。その殺し屋連中の中に「蝉」というキャラクターがいる。殺しに躊躇しない彼だが、読者にとって意外なことに、しじみの砂抜きという趣味を持っている。彼は懸命に砂を吐くしじみに癒しを得る。『殺しの烙印』の宍戸錠演じる殺し屋・花田にとっての米の炊ける香りのようなものが、蝉にとってはそれなのだ。

 刑法に触れるような生活をしていないので、「殺し屋」と言われてもその生き方にピンとこないけれど、このエピソードひとつで蝉という人の在りようはものすごく立体的になる。彼はなんなら、そこいらにいるだけの人間より、懸命に呼吸し、ボウルの塩水の中で砂を吐き出すしじみの方に同情的だ。そこが可笑しく、どこか哀しい。

 わたし達は、いや、少なくともわたしは、彼のそんな歪さに思い当たる部分がある。

 

 

 『月曜から夜更かし』という番組の中で、ノルウェーの「スローテレビ」という試みが取り上げられていた回を見たのはすごく印象に残っている。ノルウェーの公共放送局が、企画の一環として「薪が延々と燃え続けている風景」を半日にわたって放送した。もちろん、火が燃えているだけだもの、解説やテロップなんてものはない。それでもその映像は視聴者にウケた。異様な視聴率の高さだったのだという。ちょっと調べてみると、なるほど、ノルウェーではこの「スローテレビ」企画がちょこちょこ試みられていることがわかる。焚き火、七時間にわたる列車旅の風景、おばあさんの編み物、ペンギンが体を乾かす様子……。TEDトークのサイトでノルウェーのTVプロデューサー、Thomas Hellumが語っている動画などがあるので、概要を掴むにはとりあえずこの人の話を聞いてみるのが手っ取り早いと思う。

トーマス・ヘルム: 世界で一番退屈なテレビ番組がやみつきになる理由 | TED Talk

 

 TEDトークの中で、ヘルムはこう言っている。

「時間を編集しないということは重要なことです」 

 あ、それだ、と思った。

 ふだん何気なく受容する映像というもののほとんどは、そこに含まれる情報を視聴者側が受け取りやすいよう、編集されている。簡潔に、余計な部分は削いで、時にはユーモラスに、あるいは悲壮な風の味付けをして、お出しされる。そうでもしないと、忙しい中で受容するにはこの世には出来事が多すぎるのだろうと思う。理解できるし、納得する。

 ただそれはそれとして、口当たりのいい情報に辟易する時だってある。

 見えるもののそこかしこに、人為が介入していること。それに対する疲労

 最近のテレビ番組の中でもかなり好きな部類に入るNHKの『ドキュメント72時間』シリーズだって、タイトルそのままに72時間分の映像が放送されるわけではない。それはフェリー上で、NYのコインランドリーで、ガソリンスタンドで、高田馬場ゲーセン・ミカドで、撮影された3日間のうちの1時間足らずのハイライトでしかない。

 このしんどさは、切り取られた70時間ぐらいへの判官贔屓から来ているのかもしれない。

 

 

 最近はよくバーチャルYouTuberの動画を見るとはなしに、作業配信的に音を絞って流していることも多い。深夜、わたし以外の誰かがゲームの攻略を頑張っている。少なくともこの夜に、わたし以外にも一人は眠ることなく、なにか作業をしている。その共時性に不思議な安心感がある。

 冒頭に引用したリゼ・ヘルエスタという人も、にじさんじ所属のバーチャルYouTuberをなさっているヘルエスタ王国の第二皇女様だ。文武両道人望ゲキアツプリンセス。最近だと、『MOTHER』シリーズの感受性豊かな実況配信が製作者の糸井重里に注目されたことなどが記憶に新しい。あの配信いいですよね。

 そんな皇女様だが、その涼やかな容姿と声音からは想像できないほどにネガティブだ。

 彼女は落ち込んだ時のルーチンに「道路のアスファルトを眺める」ことを挙げている。

www.youtube.com

 彼女の主張すべてが理解できた、とまでは言えないけれど、なんとなく分かるところはある。無機質で、人為をほとんど介さない風景は、ふしぎなリラクゼーション効果があり、どうしてか励まされることだってある。

 皇女の御言葉を拝聴していると、むかし友達に連れられて安倍吉俊先生の小規模な画展に行った時のことを連想する。個展の入り口に設置された安倍先生からのメッセージは、正確な内容までは覚えていないけれど、奇妙に印象に残り続けている。

 危険な穴から目をそらさず、ゆっくりと後ろ向きに歩いていると、正しい方向へ向かう。

 そんなメッセージがあったように思う。この点に関してはぼんやりとした記憶に拠って書いているので、もしかすると自分の都合のいいように解釈して、言葉を歪めているかもしれない。そうであればごめんなさい。

 そういえば、リゼ皇女が崇拝に近いほど尊敬している月ノ美兎委員長は、デビュー当時「洗濯機」の上にPCを置いて配信していたんだっけか。

 

 なんだかまとまりのない散漫な文章になってしまった。けれど、この文章自体がまとまる必要性のない指向性を持つものだと思うので、あともう少し放埓に書けるだけ書いてみたい。

 

 いろんなコンテンツと出会うたび、案外、人はいろんな意味のない風景に癒されていたりするんじゃないかな、と思えてくる。岸政彦や堀江敏幸のエッセイを読んだり、panpanyaの漫画を読んだりする時にかすかに感じる、頭の奥がしんとする感じ、効率的な社会生活の中で無駄とされ切り捨てられたものをそっと拾い上げて、取得物に思いを馳せてみることの穏やかさ。吉田篤弘の小説にも似た効能がある気がする。あの感覚。

 検索ワードにさえ思い至れば、YouTubeでも色々な映像を眺めることができる。特に、ライブカメラを見て回るのはとても愉しい。半日ほどの時差のある、遠い国のある街の風景。雨の日のダム。バードウォッチャー用だろう、カメラ前に置かれた皿の中のヒマワリの種を求めてランダムにやってくる野鳥。東京の交差点……。

 さして重要でなく、その光景が在ること自体に人の意図、介入をあまり感じない風景。

 そんな風景があることに時々寄っ掛かりたくなるから、わたしは洗濯機を回す。

 

 と、こんな文章を書き上げているうちに「あと1分」の表示が出る。

 もちろん、いまは実物の洗濯機は回していない。ほんとうにダメな時はこんなまとまった文章なんて書けたためしがない。仮想の洗濯機を頭の中で回し終えようとしているだけだ。

 仮想で済むなら、いまはまだ大丈夫なのだろう。

 洗浄完了のピー音が鳴る。この一瞬はいつも緊張する。そっとドアを開け、洗濯ネットを取り出して、机とグラス、それから空のビール缶を片付ける。洗濯物カゴを元の場所に戻し、脱衣所の電気を消して引き戸を閉める。自室に戻って、布団にくるまる。

 こういう日の夜は不思議と深く眠れる。「命の洗濯」って案外こういう意味なのかもしれない、なんてしょーもないことを、意識が途切れる前によく考えている気がする。

*1:【事故物件】ケルベロスと皇女による徹底した内見を見よ【戌亥とこ/リゼ・ヘルエスタ】https://www.youtube.com/watch?v=y7Owa4V4hc4 の19:07〜