睡蓮亭銃声

そしてロウソク。ロウソクがなくてはね。

舵を手に、波に揺れる小舟に乗る:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題7-1~3

これまでのあらすじ:

simiteru8150.hatenablog.com

・Q.更新遅くない? A.はい。

 

〈練習問題⑦〉視点(POV)

 四〇〇〜七〇〇文字の短い語りになりそうな状況を思い描くこと。なんでも好きなものでいいが、〈複数の人間が何かをしている〉ことが必要だ(複数というのは三人以上であり、四人以上だと便利である)。出来事は必ずしも大事でなくてよい(別にそうしても構わない)。ただし、スーパーマーケットでカートがぶつかるだけにしても、机を囲んで家族の役割分担について口げんかが起こるにしても、ささいな街なかのアクシデントにしても、なにかしらが起こる必要がある。
 今回のPOV用練習問題では、会話文をほとんど(あるいはまったく)使わないようにすること。登場人物が話していると、その会話でPOVが裏に隠れてしまい、練習問題のねらいである声の掘り下げができなくなってしまう。


問一:ふたつの声
 ①単独のPOVでその短い物語を語ること。視点人物は出来事の関係者で――老人、こども、ネコ、なんでもいい。三人称限定視点を用いよう。
 ②別の関係者ひとりのPOVで、その物語を語り直すこと。用いるのは再び、三人称限定視点だ。

 

(中略)

 

問二:遠隔型の語り手
 遠隔型の語り手、〈壁にとまったハエ〉のPOVを用いて、同じ物語を綴ること。

 

問三:傍観の語り手
 元のものに、そこにいながら関係者ではない、単なる傍観者・見物人になる登場人物がいない場合は、ここでそうした登場人物を追加してもいい。その人物の声で、一人称か三人称を用い、同じ物語を綴ること。

 

問一 ①:三人称限定視点

 

 バザールは大勢の客でごった返していた。セスはその人ごみの中を、お使いによこされた少年である風の演技をしながら、その中に上客はいやしないかと探していた。彼は大通りをしばらく歩き回って、露天商たちの冷ややかな目線を無視しながら、ひとりの男に目をつけた。男は小太りの、いかにも旅行者といった格好をした輩で、まがい物売りのグレッグに捕まっていた。グレッグがふろしきの上に並べた物品のほとんどがガラクタであるということを地元の人間は理解していたが、あえて口に出すものはいなかった。グレッグはセスが品定めをしていることに気づくと、あからさまに嫌そうな顔をして、男の死角になっている左手で追い払うようなしぐさをしたが、セスはそれに素直に従うような類の人間ではなかった。グレッグのふっかけ具合にも動じる様子がないということは、こいつは小金持ちかそれ以上だ、と彼は値踏みしていた。商談しながら、スマートフォンをポケットから取り出したことも、セスには都合がよかった。彼は男の背後をすり抜けた。一瞬のうちに彼は自分のものでない財布を手にしていた。そのまま早足で歩き去ったセスは、背後から上がった男の怒号に笑みを漏らしたが、そのすぐ後に鳴り響いた警笛が彼の顔を神経症的に無表情に引き戻させた。この国で街の警官を動かすには賄賂がいるということを男は知っていたのだ、と彼は遅まきながら察した。警官の足音は雑踏の中でも特徴的だった。セスは安全策を取ることにした。彼は裏通りにつながる建物と建物の間の小径に入って、そこからは全速力で走った。住民ですら把握し切れていない小径の全貌を把握できているという自信がセスにはあった。彼を追跡する警官の足音が遠くなった四ツ辻で、セスは不意に物乞いの老人に道を塞がれた。男は薬指のない手で合図を送った。〈ポリ公〉。その仕草は警察官の存在を暗に示すものだった。セスは一瞬の逡巡ののち、老人のふさいだ道を通るのを諦め、別の道に走り出した。老人はそれを見届けると、頭上のひび割れた窓ガラスに向かって別の合図を投げかけ、それから身を壁際のござの元に引きずった。

 

問一 ②:①とは異なる三人称限定視点

 

 露天商の顔が原色の光で照らされているさまをスヴェンはぼんやりと眺めていた。建物の屋上から屋上へ吊り下げられた名物の絹染は、半透明といっていいほどに薄く織り込まれ、それを透過してゆく陽光が大通りを歩く人々を奇妙な模様で染め上げることを、地元の人間は慣れた光景だからと気にしないことが、彼には腹立たしかった。バザールの警備という名目で彼はそこに立っていたが、この国で働く警官の大勢がそうであるように、スヴェンもまた腐り、彼の近辺で起ころうとしている不正義を取り締まる気はもとよりなかった。彼は贋物売りのグレッグの店をぼんやりと眺めていたが、場代はすでに彼からも納めていたので、眺めるだけだった。客の男に掏摸のセスが近づいた時も、彼はただその様子を見物していた。地元の犯罪集団の中でも、セスは名うての若手掏摸であり、スヴェンは彼が大通りを平気な顔で歩いていることそのものには腹を立てていたが、不正義の尻は重かった。だが、小太りの男が財布を盗られたことに気づき、怒声を発しながら近づいてきた時、スヴェンは眉をあげた。男は札の入った煙草の空箱を差し出しながら、拙くとも強い語調で自分の被害を訴え出た。こうなるとスヴェンは動かざるを得なかった。彼は首に下げた警笛を吹き上げ、それから群衆をかき分け走り出した。足の速さではセスをとっちめられないことをスヴェンはよく承知していた。彼は息を切らしながら無線で近場の仲間に呼びかけた。同僚のピートが出た。彼は都合よく、別の大通りにいた。セスは追われると街の複雑な小道を利用して行方をくらますことは警察官の誰もが承知していたが、スヴェンは彼の逃走経路にある一定の傾向があることに気がついていた。スヴェンにとっては掏摸と捕まえることも、夜の酒場でサッカー盤に勝つことも等価の楽しみでしかなかった。彼はビール二杯を餌にピートを誘導し、挟み撃ちの作戦に出た。ちょうど廃墟が角にある四ツ辻のあたりで捕縛できる算段だったが、たどり着いた場所に、物乞いのほかに姿が見えないことを承知すると、彼は老人のござの側に唾をはいた。息を切らして走ってきたピートにビールの杯数が半減したことを伝え、スヴェンは老人を睨みつけた。ござの上にあぐらをかいた老人は、片足がないことを示して小金を乞う、よくいる物乞いに過ぎなかった。

 

問二:遠隔型の語り手(〈壁にとまったハエ〉のPOV)

 

 祝祭のあいだの大通りにはさまざまの臭気が混じりあい、一種独特の妖気を醸していた。焦げた羊串、手ちがいで饐えてしまった密造酒、旅行者のへど、乾ききらない染物の生臭さ、線香のけむり、木箱の底のつぶれたうす紫の大瓜、絞められた鶏の首からあふれ出す血液。そうした臭気の混交のなかで、人間の発するにおいは意外なぐらいに均一的で、鼻につくことはない。不精の娼婦がまき散らす昨夜の気配すら、この大通りでは端役にされてしまう。下衆な親父がすれ違えど、もうけた風のほほ笑みひとつ寄越さない。
 だから、通りを歩く少年のひとりが、やや塩気のある汗をそれとなく蒸発させながら歩いていることに気づくのは、せいぜいヤブ蚊か、路地裏の野犬ぐらいだ。彼は贋物売りの屋台の前で立ち止まっている小太りの男をしばらく眺め、男が尻ポケットからスマートフォンを取り出したことを確認すると、おもむろに突き出た尻に近づき、財布を摺りとった。そうして歩き去る群衆の流れに潜り込んだ。小太りの男はしばらくして掏摸にあったことに気がついたのか、悔しそうな顔をして、別のポケットから煙草の空箱を取り出し、近くにいる警官にそれを差し出しながら中途半端な外国語をがなりたてた。空箱の中にたたまれた札びらを確認した中年の警官は、口の端を一瞬ひくつかせると、すぐさま警笛を吹き鳴らした。何事かと目を向ける人々をかき分けて、男は駆け出した少年を追いはじめる。少年は振り向いて警官の存在を認めると、やにわに路地裏の小径に転がり込むように駆け込んだ。追う方はといえば、ビールと地酒くさい息を切らしながら、無線で同僚に応援要請をとなえた。路地裏は複雑にこんがらがっていて、掏摸の少年と警官の距離は微妙に伸縮をくりかえしていた。不意に少年の目前に、片足のない老人が道をふさいだ。老人は指の欠けた手で暗号めいた仕草をし、少年はハッとした表情で方向転換した。数瞬ののち、少年が向かいかけていた方角から別なのっぽの警官が、少年のあとから中年の警官が現れ、暗い十字路ではち合わせたが、失敗に気づいた中年の方は不機嫌そうに地面に唾を吐きかけた。二人が現着したその頃には、老人は壁際にもたれかかって、どこにでもいる物乞いのような顔をしていたが、警官たちは彼が、路上暮らしの人間につきもののむっとした体臭をまとっていないことには気づかずにいた。

 

問三:傍観者の語り手/三人称

 

 原色の果物がめっぽう積まれた籠をそぞろに見やりながら、屋台の隅、ラツマンは二日酔いに鈍く痛む頭を抱えていた。彼にとってはバザールの華々しい空気はすべてが恨めしく、姦しかった。有名作家の短編小説に引用されたという由来から、バーセルミ大通りという名がこの道につけられていることからして、今日のラツマンのシャクに触った。彼は外国人が嫌いで、アメリカ人ももちろん嫌っていた。かといって愛国心があるわけでもなく、要するに人間全般を嫌っていた。売れたマンゴーの山からちら見える彼の不機嫌な顔は、観光客どころか地元の人間すら遠ざけていた。
 だから彼は暇をもてあまし、もてあました暇は身体中をじくじく痛ませた。
 ひくく唸りながら彼は頭を上げると、不意に掏摸師のセスがまぬけづらの観光客の尻から財布を擦り取っている瞬間が見えた。セスはバザールの寄り合いの中でもちょっとした悪名を轟かせている一人だったので、頭痛のラツマンにも判った。ラツマンはこうした出来事を見かけて叫び声をあげたり、警官を呼びにいくような義侠心の持ち合わせはなかった。しらふの時にもないのだ。彼はカモを逃して苦みきった偽時計売りのグレッグをざまあみろと愉快な気持ちで眺め、それから、観光客が警官に賄賂を渡すところを見てすこしだけ酒気を抜かした。この国でマッポの尻を蹴り上げるには袖の下しかないってことを判ってたんなら、どうして偽のブランド品に気づかないんだ? 中年の警官が警笛を吹き鳴らして走り去る背中を眺めながら、彼はいたたまれない顔のグレッグと、いまだ紛然としている小太りの男から目を逸らした。これ以上の見せ物は期待できそうになかった。
 彼はパイプ椅子の上に丸まって、中空に目線をさまよわせながらその日の朝を想った。彼の数少ない愉しみのひとつが、安い黄色紙に印刷された地元のゴシップ紙だった。地元紙がその日訴えていたのは、秘密警察が動き出したという与太だった。多くの読者のように、彼もまたその珍説を一顧だにしなかった。というのも、続く文章が噴飯ものであったからだ。曰く、独自にアルゴリズムが作られた人工知能に従って、一見不可解な、未来視をするかのような行動をとる捜査官たち……彼の身体は相変わらず重かったが、それでも吹き出す笑いは抑えられなかった。あの新聞記者は作家の方が向いているだろう。彼はそう結論づけると、居眠りを決めこんだ。すでに籠からいくつかの星龍果が盗られていたが、彼にはどうでも良かった。

 

雑感

・課題に出されたのは「おなじ内容を別視点で何度も再話する」物語だというのに、設計図をひく時点で若干失敗している。というのは、主要登場人物たちがある地点Aから別のある地点Bに移動するチェイスの物語とした際、Bを周りに人のほとんどいない設定にしてしまったので、問三では苦し紛れに別の物語を付け足すほかなくなっちゃったんですよね……。傍観者が物語の移動を追いかけてしまっては、それは傍観者じゃないわな、と途中で気づいて青くなったのでした。

・あと問二の回答例に関しては、二行ほど明確に内心の描写に踏み込んでいるのですが、これも手落ちです。

・というのは、問題文を読んだ際、「壁にとまったハエ」という完全なカメラアイとしての三人称をル=グウィン先生がそう喩えて説明しているのを目にして、「そういえば嗅覚情報って客観性のある描写として受け入れられるものかな?」と気になって仕方なくなった結果の踏み込みすぎによる事故だったのでした。ハエは嗅覚のするどい生き物なので……。しかしなんだか課題レギュレーションのボーダーラインを測るような回答ばかり書いているような気がするな。

・あと、問二に答える前に神林長平の『言壺』(ありうるかもしれない小説のありようについてひたすら思考実験みたいな物語を生成し増殖してゆく、とにかく圧倒されるSF連作短編小説集)を読んで考え込んでしまった、というのもある。

・詳しく説明するとネタバレになりかねないのですが、この作品の収録作のひとつにそうした嗅覚と小説について書ききった短編が収録されていて、エンピツのように単純な人間なので読んでもろ影響されたというのがあります。

・あとはここいらの……。

・問一の文章については「〜た。」で終わる文章を意識的に続けています。作文技術の指南においてそうした文末のだぶり具合は忌避されがちだけれど、古典名作にはそうした一定の調子が続いても名文とわかる文章だってあるし、日本語のしくみとしても理由はあるよね、という井上ひさし先生の指摘(意訳)を念頭においていた気がします。

・海外旅行に行ったことないので、商店街や下町、バザーの様子についてはだいたい読んだものの記憶と雰囲気を混ぜこぜにしています。行けるものならこういうところ、旅行行ってみたい。ただそういう度胸はない。

・あとは、積ん読の本から滲み出てくるなにかを掬っているフシもちょっとはあるのかもしれない。

・以降の練習問題もがんばって取り組んでいきたい所存です。