2022年よかったものまとめ【漫画編・映像編・その他編】
前回の記事の続きです。新年早々作業量への見通しが……見通しが甘い……。
こちらも新作・旧作の区別はなし。
【漫画編】
・情報誌のライターをやっている女性のもとに、かつて同級生だった男が唐突に尋ねてくる。二人は馬が合わないながらも、片方は日々降りかかるセクハラや変質者騒動へ、もう片方は発達障害(それもおそらく、自閉症スペクトラム方面)を持つ人間がぶつかるバリアや生きづらさへ、力を合わせて立ち向かっていく。──という、現代社会をかなり辛辣に批評するお話なのかと思いきや、一巻ラストに至って、物語のカードの裏面にまったく思いがけない話が並行して展開されていたのだと開陳される。これがものすごい。
・というわけで、この漫画についてどうのこうの言う際には、とりあえず一巻丸ごと読まなくちゃいけない。
・かなり鋭くて苦いお話で、読んでいて肩身が狭くなるというか、ここで描かれているような配慮のなさをいつかどこかで無意識にやっていやしないか恐ろしくなる。けして読んでておもしろいというだけの漫画じゃない。のだけれど、どういった結末にたどり着くのか、最後まで見届けたい、そう思わせてくれる力強い漫画。
・いわゆるワナビー、創作者志望の人間が創作者の領域に一歩踏み出すお話。
・未完の作品だ。作画の方も、原作の方も、どちらも亡くなっている。
・物語そのものも、主人公の内気な少女が本格的に漫画の世界に踏み込む数歩手前で途絶している。
・それでいてなお、迫りくるものがある。
・よいワナビーものの作品というのは、一読して、ほんの少しでも創作の意志をうちに秘めている人間が、わけのわからない衝動にかられ、いてもたってもいられなくなってしまうようなものだと思う。その点で言えば、これは未完の作品であってなお、最良のワナビー漫画である。
・木崎ひろすけ先生はほかに『A・LI・CE』も読んだけれど(こちらはきれいに完結している)、これも良かった。両作家の死没を心より悼む。
内田善美『空の色ににている』
・京都国際漫画ミュージアムで谷口ジロー展を観覧しにいった際に、蔵書にあったので読んだ。
・圧倒された。
・あらすじをまとめてしまえば、他愛ない話のように思える。陸上部に所属する主人公は、優秀な長距離走者ではあるのだけれど、どこかぼんやりした読書家でもある。彼が図書室で借りていく本の図書カードにはいつも同じ名前が先んじて記名されていることから、その少女に惹かれていく。だが彼女にも想い人がいて、それは画家志望の男である。二人は彼のアトリエに誘われ、主人公もまた彼に好感を持つ。ところが──、……。
・と書いても伝わらないんだよな。こればかりは実物を読んでもらうしかない。ないのだが……、今では読む手段がほとんどないのが困る。ともかく、細緻な描き込みにとにかく圧倒される。後半、歪な三角形の一角から不意に一人が去ってしまうのだが、それでいてなぜか、三角形は破綻することなく、バランスを保ったまま存在し続けていく。不在の一角に誰かがなおも存在しているように錯覚させる。
・『星の時計のLiddel』を読んだ時にも思ったけれど、この作者は幽明の世界を過不足なくかき合わせる腕が異次元だと思う。
・いまだに復刊や愛蔵版の話が聞こえてこないから、なんらかのトラブルがあるのだろうけれど、この作家の作品が再販されるなら、少なくとも私は出される作品は全部購入しようとかたく決めている。
阿賀沢紅茶『正反対な君と僕』
・『スキップとローファー』が苦味や副作用を逆手にとって薬効に換える漢方薬的な存在の青春漫画だとしたら、こちらはそういった劇薬を極力使わない調合薬の味わいがある。みんな違ってどちらもいい。ただ疲れた日にはこっちのが飲みやすい。
・ただ、この手触りの丸みに至るまでには、とんでもなく微細なカッティング技術があるのも見当がつく。匠の至芸。
・作者の過去作、書籍にならんかな……。
こかむも『クロシオカレント』
・こかむも先生には世界を支配してほしいなと心から思っているし、世界なんてばっちいもの支配するなんてかったるいことせず気ままにやっていてほしいなとも心から思っている。(据わった目で)
・『京騒戯画』とか『フリップフラッパーズ』みたいな、元気のよろしい奇天烈なカオスがやがて収束していく話になりそうで、そうであるならば、もう白旗を振るしかない。そういうお話大好き。
・っていうか、身も蓋もない話をすると、こかむも先生の絵のタッチがそもそも好きなので、ベタ甘な評価しかできない。
・これを書いている人間は、いい加減新興ライトノベルの一巻にありがちな「異常な世界に身を浸して平静を装っていられる主人公こそがもっとも異常な存在だった」系どんでん返しのネタに痺れるの、止した方がいいっすよ。はい。はい。ようく存じております。
・痛快娯楽漫画。ただただ読んでいて愉しい。
・日本でも有数の乗馬アクション描写の巧さ。ほぼバイク。
・伊藤勢、『瀧夜叉姫 陰陽師絵草子』や『荒野に獣慟哭す』もちらっと読んで、確固たる実力者であることは間違いなく分かるのに、現状のこの手に入れづらさはちょっと問題があると思う。
panpanya『模型の町』
・panpanya先生は、一見するといつも同じような話を描いているようにも思えるのですが*1、よく見てみると、「グヤバノ・ホリデー」の連作や、「筑波山観光不案内」、「スーパーハウス」など、少しずつ模索の領域を押し拡げているようにも感じています。し、私はそれは好ましい動きだなと捉えています。
・それにつけても「夜ぼらけ」はいいよな。
イトイ圭『花と頬』
・去年読んだ漫画のなかではこれがベストだったように思う。
・マイナーメジャーくらいのバンドマンを父に持つ文学少女、そのバンドのファンであるのっぽの青年。図書室で文章のやりとりを交わすうちに、二人はお互いに好意を抱きはじめる。が、どちらもその想いに消極的なのは、相手が好きなのは私ではなく父なのではないかという疑いがあるからであり、過去の経験から女性と交際することに底知れない恐怖を感じているからだ。そんな二人と、その周りの人たちのままならなさや、不器用な親切を、最低限の説明と淡いタッチで活写し切っている。
・必要十分な分量の物語だと思う。年末に出た番外編漫画*2にものたらなさを感じるぐらいには。
・『ナインストーリーズ』も粒揃いの短編集だったけれど、私はこっちのが圧倒的に好きだな。
いしいひさいち『ROCA 吉川ロカストーリーライブ』
・ネット通販というものが未だに億劫なんですが、この作品でもそれでウダウダやっていたのはマヌケの極みでしたね。
・間違いのない名作です。
・いしいひさいち先生が天才であることは昔からよく知るところでしたが、ここまで一本筋の通ったストーリー漫画を描いても巧いのは参りました。少なくともNo.67の回くらいまでは新聞連載の上でやっていたはずで、とすると相当無茶なことをやっている。まあでもチャールズ・M・シュルツも紙上でスヌーピーが一族再開したり連載中ただ一度だけチャーリー・ブラウンがホームランを打って狂喜するエピを仕込んだりしていたので、長期新聞連載という形式は時々思いもよらないような作品を創出する実験場なのかも知れない。
・『となりのののちゃん』発の連作エピ、〈月子さん〉の話とかもどこかで拾ってほしいよね。
・いしいひさいち先生についてはどこかで総浚いをして業績をまとめておきたいという気持ちが数年前くらいからずうっと燻ったままです。いつかは。
五十嵐純『ドミナント』
・2022年つづきが気になる漫画ベストワン。そして無事に作者の想定するところまで続いてほしい漫画ベストワン。
・ぞっとするような不穏の描写の的確さもいいのだけれど、それ以上に、ギャグのふにゃっとした手触りがこの二面的な漫画にそのまま使われているの、異次元の才能だなって思う。
・目が離せない漫画。危うさを含めて。
安田佳澄『フールナイト』
・とにかくおもしろい。
・こういう容赦無くえげつない作品、苦手になることが多いのだけれど、不思議と読み進めることができている。不思議。
熊倉献『ブランクスペース』
・漫画表現において、余白というものを表現の世界に招き入れるという、史上一回こっきりしか使えないような禁じ手的な演出を見事に利用し切ったお話。お見事でした。
・最終、空白の産物たちがビジュアライズされたことはちょっと寂しかった気もする。
・雰囲気だけの漫画なんじゃないかという杞憂があったんですが、節穴でしたね。そもそも後年〈『坊っちゃん』の時代〉シリーズを立ち上げる俊英コンビだという当たり前の認識が抜けていた。
・ハードボイルド連作なのだけれど、ちゃんと一話単位でしっかりとしたミステリのネタとオチがあり、キャラの造形は深掘りされ、ときに時代を描写し、バラエティに富み、キメる時はしっかりとキメる。とにかく単話ごとの読了時の満足感がすごい。
・脇役も印象的な人物が多いなか、しっかりと時代を進ませ、あるキャラが終盤あっけなくこの世を去るのがとても印象的。
・リアルタイムで周りのいろんな人が狂っていた理由がよ〜〜〜〜くわかった。
・面白さ、膨大にあるはずの描ききられていない設定の存在感、ときどき悪趣味だったりするところや週刊連載っぽい粗の部分まで、すべてひっくるめて、読んで教室の友達と語り合いたくなるような作品なので、いい少年漫画なのだと思う。
【映像編】
全然見れてねえや。猛省。今年は映画館にちゃんと通いたい。アニメもまともに観たい。
『地球外少年少女』
・後半の展開に言いたいことはある。あるんだけれど、それでもなお、今時めずらしいくらい真っ向からジュブナイルSF成長譚をやってくれて素朴にうれしかった、という気持ちが強い。
・あとそもそも前半で釣り銭ドバドバなくらい加算がすごい。
・『プロジェクト・ヘイル・メアリー』もだけれど、未来技術で希望を語ってくれたことへの感謝もある。
・友人から押し付けられて借りて観た。その節はお世話になりました。
・高咲侑という視点人物の創出が最もテクニカルな点なのだと思う。ラブライブよく知らんけれど。
・競技ジャンルの歴史の中で競技性をあえて選択しないこと、自分らしさとは、という部分を作中でずっと考えてくれていてよかった。
『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』
・なんだこれは!(それ以外に言うことある?)
・上述のワナビーものの要素がしれっと仕込まれているような気がする。
『Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』
・2022年出会えてよかった映像先品ぶっちぎりのベスト1。
・目に映るすべてのものがメッセージ。
・すてっぷn DIYって、どこかで・いっかい・ゆっくりはなすきかいをもうけたいね。
・この文章を書いてる人が田野大輔先生みたく急に本棚とか作りはじめたなら、察してください。
・我ながらなぜこの作品にここまで心動かされたのか、自分でも見当がついていないのが困る。
【おまけ・その他編】
2022年の創作
・ストレンジ・フィクションズという所属の同人小説サークルにて、短編小説を二本(うち一本は今年出ます)、エッセイを一本書きました。
・ ……それだけ!!?!? はい、それだけです。今年は同人にとどめず頑張ります。
・同棲関係にある一組の女性とクラシカルな架空のピンボール・マシンのお話、サークルの先輩であるミステリ小説家・犬飼ねこそぎ先生の思い出話、ロス・マクドナルドに着想を得た(?)海辺の街の射殺事件を調査するハードボイルド・ミステリ、の三本です。
・詳しくはこの辺をご参照ください。(BOOTHの在庫は死滅しているが……)
・紙月真魚という書き手にご興味のある奇特な方がいらっしゃいましたら、どなたでもお気軽にお声がけください。
『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』
・一昨年の末から初めて、半年くらいずっとハマっていた。久しぶりに買い切りのゲームにここまで熱中した。
・ハマりすぎてやばいなと思い、無理やり厄災ガノンを倒しに行った。ジャスガが下手すぎて泣きそうになっていた。ありがとうウルボザさん。
・最初の一週間くらい、はじまりの台地でずっとバッタと薪を集めていたような遊び方をしていたけれど、とにかく愉しかった。終盤巻くためにちょっと攻略サイトを参考にしたことを今でも悔いている。あれは自力でどうにかするべきだった。
・臆病なりに準備をちゃんとすればどうにかなる塩梅がとにかく心地いい。
・でも次作にはレシピノートは付けてくれ。頼むから。
『舞台 やがて君になる encore』
・友人がチケットを用意してくれたので、観に行った。その節はありがとうございました。
・3時間でやが君を注ぎ込まれて、ほぼ臨死体験に近かった。
・礒部花凜さん演ずる佐伯沙弥香さんが完璧で、実在性、となっていた。
・これに備えて仲谷鳰作品をいくつか再読し、この人はずっとオルタナティブな存在について考えているな、とようやく気がつき、その点に関してもよかった。
This is 𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 world
1st LIVE TOUR「This is harmoe world」 | EVENT|harmoe オフィシャルサイト
・終演後、熱に浮かされて岩田陽葵さんのブロマイドを購入したことはクラスのみんなにはナイショだよ。
辞めたバイト先がいつの間にか潰れててバイト代が二ヶ月分未払いになった経験
・笑うしかない。
・債務整理にあたっている弁護士さんからの連絡は今でも待っているけれど、期待はあんまりしていない。
・周りの人が全員かわいそがってくれて、優しくしてくれたので、悪いことばかりではなかった。優しくしていただいた周りの皆様、本当にどうもありがとうございました。
・一生ネタとして擦っていくことで体験の原価滅却を図ろうとしている。ので、ここにも記しておきます。
原神
・楓原万葉……………………。
こちらからは以上です。
2023年も能動的に良い年にしていきたいですね。
2022年よかったものまとめ【小説編】
あけましておめでとうございます。
新年早々、濃厚接触者となって引きこもっています。ひどい年始や。
昨年度末は新しいバイトをはじめたり、十日くらいで短編小説をでっち上げたり*1、『BLEACH』を全巻読んだり、ホームパーティー兼忘年会に使われる友達の別荘を大掃除したり*2、いろいろとてんてこ舞いだったため、こんなタイミングで年度まとめがポップすることと相成りました。
ふりかえってみると、たいしたインプットはできていません。反省。本年度はもうすこし色々なものを意識的に摂取していきたいと思います。忘年会の席でも「お前は勉強が足りてない」と言われたことですし……。
新作・旧作はごちゃ混ぜです。おおよそぶつかった順となっています。挙げたタイトル以外にも、印象深かった作品は山とありますが、今はとりあえずこれくらいで。
小説・エッセイ
津村記久子『現代生活独習ノート』
・敬愛する津村記久子先生の最新短編集。
・緩い連帯をむすんだり、ぐうたらでダメな自分なりにとにかく生活を続けること、ともかくどうにか生きていくことをユーモアとペーソスで静かに肯定的に描く話が多い。
・個人的にはやや実験作の多かった『サキの忘れ物』(表題作がとてもいい)よりこっちのが良かったな、という印象がある。
・津村先生は同年に出した『やりなおし世界文学』もものすごい労作で、これも素晴らしかった。ものすごくためになるブックガイド。単体で読んでもおもろい。
グレアム・グリーン『情事の終わり』上岡伸雄訳
・探偵小説的な筋書きで描かれる三角関係の話……なのだけれど、終盤に至って、人間関係の線上にある存在が登場/召喚され、そうか、こういう話なのか、と味わいがガラリと変わるのがおもしろい。
・グレアム・グリーンはこれと『第三の男』を読んだきりなのだけれど、文章がとにかく簡潔・的確で、わりかし辛辣で、読みやすいし読んでいて愉しい。他にも読んでいきたい。
ジェイムズ・ヤッフェ『ママは何でも知っている』小尾芙佐訳
・ポケミス版で読んだ。
・いわゆる安楽椅子探偵ものの推理短編集。
・殺人課刑事の息子とそのインテリな奥さんが、金曜日夜のディナーの席で受け持ちの難事件について推理し合うのだが、いつも真相を指摘するのは実学派のお母ちゃん、という型に沿ったお話。
・とにかくミニマルなパズラーの完成度が高い。事件の概説、推理のスクラップ&ビルト、名探偵の奇妙な質問、ピシッとした消去法推理と意外な犯人、という要素がどの短編にも綺麗に詰められている。
・2022年に読んだ本格ミステリのなかでもかなり満足度の高い本だった。
アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』小野田和子
・2022ベストページターナー。
・できればあらすじをなにも知らないまま読んでほしい本。カバーも帯も外してほしい。
・ただその姿勢でいると紹介がでけんのよな。というわけで無理やり紹介してみる。
・主人公が目を覚ますと、自分が直前の記憶を失い、そのうえどうも奇妙な環境に身を置いていることが徐々に判明してくる。かれは何者なのか? ここはどこか? 自分はなぜここにいるのか? 湧き出る疑問を持ち前の知恵と知識で解決し、調査のあいま過去を思い出していくうちに、とんでもなくスケールのでかい使命を背負って自分がここにいることを再認識する……と可能な限りぼやかしたあらすじが、1/4くらいか? ここからもすごい。
・作者の過去作(『火星の人』)を読んだ際も思ったけれど、とにかく、「科学技術は未来をよりよいものにできる。というか、してみせる」という力強い姿勢が作品の芯になっていて、ときどきちょっと強引な気もするんだけれど、一読して不思議と励まされたかのような気分になる。ただの楽観主義ではないところもミソ。
・以前、SF系のイベントで耳にした「ホープパンク」ってのはこういうものなんだろうか。
・2022年は個人的には夢枕獏イヤーだったのだけれど、それが始まったきっかけがこの作品。
・簡単にいうと、『刃牙』シリーズでやる大乱闘スマッシュブラザーズ*3。著・夢枕獏。ゲストキャラで『餓狼伝』の登場人物も出てくる。
・死刑囚編に出てくる強敵・柳龍光。脱獄犯であるかれは作中、再収監されることになる。だが、超厳重な警備をものともしない最悪の凶悪犯を誰が捕まえたのか?
・そんな話を、夢枕獏のおっちゃんがニコニコしながら囁きかけてくるのだ。おもしろくないはずがない。
・藤田勇利亜によるイラストがガンガン使われていて、ほとんど漫画のようにスッと読めるのもいい。
・とある人から「創作に悩んでるんだったら読むべき」と勧められ、ホンマかいなと疑いつつ読んだら実際どうにか一本書き上がった*4ので、そういう意味でも夢枕獏先生には感謝しかない。
・でも五巻の結末についてはいまだに言いたいことある。おいッッッ!!!!!!!!
泡坂妻夫『煙の殺意』
・短編小説と本格推理、二つのステータスが極限まで高められると、理で落ちたはずの物語のはずなのに、かえって〈奇妙な味〉調の後味がのこる。妙技。
・漫画を読み返し、原作を読み、アニメ映画を観て、とにかく何度もエヴェレストにアタックした年だった。
・深町誠という男のふらついた道程を追うのが好きだから、やっぱりアニメ映画版よりかは原作小説とコミカライズのが好きだな。
・これも2022ページターナー。次点。
山田正紀『神狩り』
・夢枕獏先生がちょくちょく「『神狩り』はすごい」という旨の発言をしていて、そんなに、と思って積んでいたのを読んだらひっくり返った。
・神に抗うお話である。と言ってしまえばそれだけなのだけれど、俊英がデビュー当時抱えていたあらゆるアイデアをぶち込んで仕立てた小説であり、密度と熱量がすさまじい。だって開幕ヴィトゲンシュタイン先生が出てくるんだぜ……*5。
・というか、このアイデア量をこのページ数にまとめきれている膂力がまたすげえ。矢作俊彦のデビュー作を読んで布団ひっかぶって絶望していた大沢在昌の気持ちがなんとなく分かる気がしてくる。
・とにかく無類におもしろい。続編も読まなきゃな……。
・アーカイブの話だ。それも、アーカイブ化されたはいいけれど、振り返られる機会がどうもないのではないか、という瑣末な情報、細部、歴史をそれでも記録するというのは、どういうことなのだろうと思索する話だ……と思う。
・高山羽根子作品を読んでいると、ああ、おもしろい小説を読めているなあという気持ちに十全に浸れるからうれしくなる。
打海文三『Rの家』
・ハードカバー版で読んだのでこの表記で。
・容赦のない空転と停滞の話で、恋や夢はあまり報われず、人が時々あっけらかんと死んで、それでも残酷に時は進んでいく。ハードボイルド小説風の謎解きやワイズクラック、初期のポール・オースターの模写といったものがメタっぽい苦笑と一緒に行われ、それはずるくないか、と思いつつ、痺れてしまう。
・普遍的かどうかは怪しいけれど、今読んでも刺す鋭さを持った小説だと感じた。
・2022年に読んだ小説の中でこれが一番おもしろかった。
・前述した『やりなおし世界文学』(津村記久子)を通読して最も読んでみたくなったのがこれで、一読して勘が冴えていたなと思った。津村先生、ご教示いただきありがとうございました。
・〈ゾーン〉と呼称される、異星の生命体が通過したことによってその場の物理現象や物体の化学構成が地球のそれとは異なるようになってしまった、明らかにやばい空間。そこに潜り込んで、命からがら貴重な物質のサンプルを獲ってくる人々がタイトルの意味である。
・色々とグレーな部分も多いし、命の危険もつきまとう、ハッキリ言ってかなりロクでもないが、それでも成功した際の実入りは馬鹿にならない仕事である。そんな仕事から逃れられない男の人生を描く。
・同業はろくでなしだらけ、横流しは法に触れていて、子供はストーカー仕事の影響かどうも普通の人間ではない。それでもなお、主人公はナットを投げ(見かけは普通でも目の前の空間の重力場がねじれている可能性があるからだ)、安全なルートを探し、道を切り拓いて、ほうぼうの体になりながらも帰還する。
・ガジェットはSFなのだけれど、汚れ仕事をして疲弊しながらも生きていく労働小説でもある。そこに無性に胸を打たれてしまう。
・こうして振り返ると、「現実はロクでもないが、そんなことはみんなとっくの昔に解っているし、いいからとにかく手や足や頭を動かして、前に進んでやろうとする」力強さに満ちたフィクションが好きなんだよな、と自分の趣味がわかる。それでいて、完全無欠とはいかないが、希望の光が差すくらいのビター・ハッピーエンドみたいなお話が好きなんだよな*6。『自転車泥棒』(※映画の方)とかいまでも苦手だ。
・泥に塗れる話ではあるんだけど、泥ぬたの方ばかり見つめてるわけじゃないのがいいんだよな、この小説。
・『裏世界ピクニック』とか『メイドインアビス』がなぜ生成されたか、いまではなんとなく理解できる。
エトガル・ケレット『あの素晴らしき七年』秋元孝文訳
・イスラエルにおける七年間の生活を小説家が綴ったエッセイ集。
・息子がめっちゃアングリーバードにハマって困る話とか、飛行機の予約をダブルブッキングされてパニックで泣いちゃう話があって、その一方で軍務中に初めて小説を書き上げた話や、ミサイルが飛んでくる話がある。物騒な話と、生活のあるある話が併存している。不謹慎だけれど間違いなく興味深くて面白いし、はっと目の覚めるような省察が無造作に転がっている。恩寵と、エッセイの自虐の笑いが一緒くたにされていて、とてもいい本だと思う。
・もちろん、作者は自分の情けなかった部分は赤裸々に告白していて、それも好感度が高い。なんせこの文章を書いている人間は椎名誠に育てられたので……。
・2022年に読んだエッセイはこれと『じゃむパンの日』(赤染晶子)が印象深い。
笠井潔『バイバイ、エンジェル』
・ある時代において宿命的に書かれるべきだった物語を書き上げた例なのだと思う。
・一読して呪われたかのような、とても印象的な、昏く、臓腑に響きわたるラスト。
・首無し死体が首無し死体であらねばならなかった理由がいい。
堀江敏幸『その姿の消し方』
・物語のコンセプト、作中作、捜査の手触り、ディテール、なにもかもがずるい。
・堀江敏幸先生は、あわい、とか、よすが、といったものを掬い取って小説に仕立て上げるのが激烈に巧い作家であるのはわかっているのだけれど、それでも、野暮天ながら、ちゃんと解答のある捜査小説をいちど書いてみてほしい、と夢に見てしまう。
・『雪沼とその周辺』もこの年に読んだけれど、これもものすごくいい連作短編集だった。無敵か?
青山文平『半席』
・全編ホワイダニットという、これはもしや自分に向けて作られた満漢全席なのではあるまいかと錯覚してしまうような素敵な時代推理連作短編集。
・タイトルの付け方がいい。一応の身分は得たが、お家が永続してその身分に就けるかはまだ確約されていない中途半端な立ち位置に在り、惑う主人公の青さを端的に表現していることが読み進めるたびにわかる。
・そして、そうやって己の在り方に惑っているのが主人公だけでなく、主人公が捜査する事件の中心にいる、「なぜそんな凶事を起こしたか見当がつかない人々」もであり、その共振から事件が解ける、という構図が美しい。
・最近どうも、川出正樹解説作品を読めば間違いないのではないか説が浮上している。
シヴォーン・ダウド『ロンドン・アイの謎』越前敏弥訳
・歳上の友人からいただいたので読んだ。その節はありがとうございました。
・おそらくサヴァン症候群らしい男の子が、遠方からやってきた親戚がロンドンの巨大観覧車に乗ってそのまま消えてしまった事件の目撃者となってしまう。すわ誘拐か、事故かと悲憤する家族や親戚を横目に、密室からの消失事件を解決するため、普段は折り合いの悪い姉とともに少年はにわかに捜査活動をはじめるが……。
・『夜中に犬に起こった奇妙な事件』や映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』が刺さった人間なので、もちろんおもしろかった。嬉しかったのは、『夜中に〜』がどちらかといえば冒険・成長小説的な色合いが強かったのに対して*7、本作は本格ミステリ小説としての手続をキチンとこなしきっていたところにある。密室からの消失という難題に仮説を立ち上げ、調査の上で検討し、しれっと敷かれた伏線を拾いあげて意外な真相にたどり着く。
・そうしたミステリの行程が、本作ではそのまま主人公の少年の特異性もまた有用なのだということを示す証明になっているのがいい。
・ヤングアダルト小説として、家族や成長、社会へのまなざし、という要素も外していないのがすごい。年下の子供に本をすすめる機会があれば、胸を張って渡せる一冊になっていると思う。
思っていたより大変だったので、【漫画編】【映像・その他編】に分けて更新しようと思います……。
*1:
ロス・マクドナルド没後40周年記念トリビュート発刊のお知らせ|ストレンジ・フィクションズ|note
*2:真面目にやりすぎて呆れた家主から賃金が出た
*3:板垣恵介先生側から範馬刃牙・範馬勇次郎・花山薫は使わないでくれ、という縛りを提示された話があとがきにあったので、正確にはスマブラではないかも
*4:
『ストレンジ・フィクションズ vol.3:ゲーム小説特集』のおしらせ|ストレンジ・フィクションズ|note
*5:本来、語りえぬもの=形而上の存在を引き摺り出してシバきに行く話なので、読むとすごく人選に納得がいく。
*6:伊坂幸太郎が大学のフリーペーパーのインタビューで、『火星に住むつもりかい?』を書く際の心構えを答える際にこのあたりの似た話をしていたような覚えがある。『火星に〜』は伊坂作品の中ではそこまでいい出来だとは思えなかったけれども……。
*7:特殊な思考を持つ少年の文体表現としてはこっちの方が好きかもしれない
「タップ・トランスファーズ」についてのおぼえがき
・ちょっと前に、所属している同人小説サークル〈ストレンジ・フィクションズ〉の同人誌に「タップ・トランスファーズ」という短編を寄稿しました。今回はゲームをテーマにしましょう、というお題が出て、じゃあ前々から書いてみたかったことをこの機に書いてみるか、と書き出し、無事に難航しました。難航はしたものの、どうにか提出し、現在では無事に販売されています。
・よろしければおひとつどうぞ。本体価格1500円になります。相変わらず謎の熱量が篭った変な同人誌にしあがっていて、おトクな一冊となっています。多分。
・この記事はその短編についてのメモになります。書くにあたってどんなことを雑駁に考えてたのか、という。本人がそのうち忘れるので……。
・内容をほぼ割ってしまうんだけれど、まあ、割れて困る話ではないです。
・漫画家のとよ田みのる先生の著作に『FLIP-FLAP』という、ピンボールと恋愛と求道をめぐるお話がありまして。これが昔からずっと好きだったんですね。センター試験帰りの精神安定剤にしたりとか、コミティアでとよ田先生ご本人にサインをいただきに行くくらいには。
・で、こんなお話を書いてみたいな、と思ったわけです。
・もちろんそのまま引き写しをするのは問題があります。
・というわけで、ピンボール・マシーンの上に二人の人間の運命を乗せて賭けるお話、というおおまかなコンセプトだけ拝借して書くこととしました。
・単純にメディアの違い(漫画と小説)もあるのですが、それ以前にわたしの方の筆力がそんなに無いので、結果的にほとんど別物になったと感じています。
・『FLIP-FLAP』のヒロインである山田さんは、自分の彼氏に立候補する人間に、あるピンボール台のトップスコアを超えた点数を叩き出すことを課題として提出しています。
なぜ?
わたしたち読者と同じ疑問を持った恋する主人公・深町くんは、彼女に問います。
「山田さんにとってあのハイスコはなんなんですか
そんなに意味のあるものなんですか?」
彼女は深町くんの方ではなく、ピンボール台に向き合いながら答えます。
「無いです」
「こんな無意味なことを続けていて虚しくならないんですか?」
「なりません
ただ 心が震えるのです
深町さんもプレイして実感したと思いますが
あのハイスコを出した人間はバケモノです
そこにつぎ込まれた労力
努力を考えると私の心が震えるのです
何の見返りも無いのに
無意味なのに
孤独なのに
あのハイスコを出した人間こそ…
私の理想なのです」
・聖愚者というテーマについて考えることがよくあります。見返りを求めず、愚直に何かを続け、世間からは理解されず、馬鹿にされ、憐れまれ、身を持ち崩し、ついには目的を達成することができないとしても、ふしぎに超然とした表情を浮かべ、淡々と意志を、理想を貫き続ける人々。その内には何があるのか?
・このお話はそうしたテーマの好例のように感じられるのが、好きな理由のひとつです。
・子供のころにトルストイの童話を読んでそれなりに衝撃を受けたのが遠因なのかもしれない。
・『白痴』とか『ゼロの王国』、『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』、『フォレスト・ガンプ』あたりの、こうしたテーマを備えた作品に脆弱性がある。『宇宙大帝ギンガサンダーの冒険』の結びの短編とか。周利槃特の逸話*1とか。
・おそらく、頑固者のお話が好きなんでしょうね。
・それと、個人的な心理面の問題がありました。
・「自分はこれまでの人生で、本気になって何かに取り組むことがあったろうか? なにもかも流されるがままにやってきただけじゃないんだろうか? 何かに熱中するための、エンジンのような内部構造を自身に構築せずここまできたんじゃなかろうか? そうであれば、今後、はたして何かに本気で取り組むようになれるのか? エンジンは今からでも組み上げられるのか?」というような不安を、わたし自身が持っていまして。
・これはある程度は解消されましたが、今でも残ってはいる不安です。
・こうしたくにゃくにゃした悩みを登場人物に引き継いでもらい、客観的にちょっと考えたりしてたのでした。
・そんな感じで、聖愚者の求道のお話と、私はまだやれるもんだろうかという不安のお話が合体事故を起こし、この短編が生まれました。素材の噛み合わせも悪ければ、自己セラピー的な部分もあり、そりゃ難儀するよな、という感じですね。終わってみれば。
・ピントが合わされるピンボール・マシーンを、実際は存在しない『L.A.コンフィデンシャル』にしたのは、まあ趣味ですね。終盤の熱中を高密度のクランチ文体で書くというアイデアもあったんですが、いかんせん実力が追いつかなかった……。
・心斎橋の地名が出てくるのは、THE SILVER BALL PLANETという実際にあるピンボール専門のゲームセンターが念頭にあったためです。とても楽しいところなので、ぜひ一度行ってみてください。百円玉が無限に無くなります。
・ここで『トミー』という映画原作のマシーンを触りながら構想を練ってました。作中に出てくる〈ウィザード〉はこの映画と、The Whoによるテーマソングが元ネタです。
・あとは細部の話ですね。
・深水黎一郎先生に「人間の尊厳と八〇〇メートル」という素敵短編があるのですが、これは個人的な感想を言えば、推理小説的なオチがつかない方が素敵だった、みたいな不満がちょっとありました。それも原材料になっています。とても納得のいくオチなんですけれどね!
・KMNZによる小沢健二「強い気持ち・強い愛」のカバーを聴くたびに、
長い階段をのぼり 生きる日々が続く
大きく深い川 君と僕は渡る
涙がこぼれては ずっと頬を伝う
冷たく強い風 君と僕は笑う今のこの気持ち ほんとだよね
という歌詞みたいな百合があったらいいよなあ、という無い物ねだりが昔からずっとあって、周りを見渡してもそんなに思うものがなく、自給自足した、という面もあります。
・文体の舵をとっている最中に痛感したのですが*2、個人的に性的な描写から逃げるきらいがあり、今後のことを考えるならそれはよくないかな、と試した節があります。結果ぎこちないのは反省することしきりです。
・ラストはほぼこれです。最高の本なのでぜひ読んでほしい。
・アークナイツのSpeed of Lightはとてもチルくて佳い。歌詞も最高です。
・後半にかなり詰まっていたところ、夢枕獏先生の『ゆうえんち』を読んで勇気と勢いをもらったのでした。ありがとうございました。……なぜ?
・提出して、揃った作品と比べてみると、ふしぎと直球でゲームの話をしているふうに感じられるのは不思議だなァと思います。
・と、そんな感じでした。
*1:仏門に入ったものの、てんで学問ができず苦しんでいた周利槃特というお坊さんが、釈迦の教えによってひたすら掃除することに専心し、やがて阿羅漢になりえた──悟りをひらくことができたとか
*2:
そして、小舟は海をゆく:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題8~10 - 睡蓮亭銃声 の8-2を書いてる際に痛感した
アニメ映画版『神々の山嶺』を観た感想 または私は如何にして心配するのを止めて夢枕獏を愛読するようになったか
※この記事は『神々の山嶺』の展開に関するネタバレを含みます。
夢枕獏にはまった男は語る
どうして今更、夢枕獏にはまったか聞きたいって。
いいよ。
そんなに面白い話にはならないと思うけどね。
でも、なんでそんなことを聞くんだい。あんた、物好きってよく言われるだろ。
ああ。
そういえば最近、『神々の山嶺』がアニメ映画化されたそうだね。それも、フランスで。
フランスは谷口ジロー先生をものすごく評価しているからね。
なんなら、本邦よりも尊敬されていたりしてさ。
なるほど。
その感想を書くのにかこつけて、来歴を記録しておきたいってことか。
そうだな──
まず、最初の出会いは大学生の頃だ。
『上弦の月を喰べる獅子』だったと思うな。
ものすごい作品だよ。あんた、読んだことあるかい。
ぶったまげちまうよ。
ふたりの男がいるんだ。ひとりは、元戦場カメラマンの螺旋蒐集家だ。この男は、螺旋に取り憑かれて、世界に散りばめられ、存在する螺旋をリストアップし、喜悦に耽ってる。
もうひとりは、なんとあの宮沢賢治先生だ。
そう、『銀河鉄道の夜』のだよ。あるいは、『注文の多い料理店』のね。『春と修羅』の、でもいいぜ。
そんなふたりが、螺旋の導きによって、ひとりの人間として融合し、須弥山の形を成した異世界に目覚めるんだ。正反合一、ってやつなんだろうね。難しいこと、わかんねえけどさ。
そして、ひたすら上を目指しはじめる。
とんでもないだろ。
でも、これ、まだ物語の半分も説明しちゃいないんだぜ。
上巻を読み終えて、いてもたってもいられなくなって、すぐさま下巻を買いに行ったよ。
こんなとんでもないスケール感のSFって、日本でも産まれえるもんなんだ、って感動したな。
読んでないなら、読んだほうがいいよ。
でも、その時は、今みたいにハマりはしなかったんだな。
なんでかは、自分でもよくわからない。
それから、『餓狼伝』や『神々の山嶺』のコミカライズも、前後して読んでいたと思うな。『餓狼伝』は、板垣先生のほう。
漫画を読むの、好きだからね。
あとから夢枕先生も漫画を読むのが好きだって知って、なんか、自分のことのように嬉しくなったりもしたっけね。
それでも、夢枕先生の存在は、一度、おれの中を通り過ぎていったんだ。
強烈な印象を残してね。
あるいは、防御を崩し、破壊のきっかけになる、鋭い初撃を喰らったのかもしれないね。
それからどうしたっけな。
合間にエッセイとかも読んだな。
おれ、古本屋で古本を漁って読むのも好きなんだよね。
でも、ちゃんとはまるきっかけになったのは、やっぱり『ゆうえんち』だな。
ちょっと、話を脱線するよ。
大丈夫、大丈夫。ちゃんと関係のあることだから。
おれ、趣味で文章を書いたりするんだよね。
趣味だよ。お金をもらえるような、たいそうなことは書いちゃいない。思いついたことを、書きたいままに書く。
いわゆる同人小説ってやつだね。それを、その当時も書いてたんだ。
で、えらく筆が止まっちまってさ。
笑ってくれよな。
スランプだなんて言葉を使うのもおこがましいくらい、素人の話なんだから。
それで、ある時、締め切りから目を逸らすように飲み会に参加していたんだ。
その場で、おれよりもっと文章が書ける、文章でお金を稼いでいる人が言うわけだよ。
『ゆうえんち』を読むと、書けるようになるかもしれないぜ──ってね。
いたずらっ子みたいに笑いながら。
冗談だと思ったよ、その時はさ。
でも、藁にもすがりつきたい気持ちでなんとなく、一巻を買って読んでみたんだ。
そしたら、書けたんだよ。
言ってるこっちも、冗談みたいな話だって思うよ。でも、本当のことさ。
内容も、ぜんぜん関係がなかったのにね。きっと、何かの栓を、すぽっと抜く役割を果たしたんだろう。
ピンボール・ゲームに関するお話さ。
ま、おれが書いた文章の話はいいんだ。
興味があれば、読んでくれると嬉しいけどね。
おれが本格的に夢枕獏にはまったのは、この『ゆうえんち』のおかげだ、って話だ。
『大乱闘スマッシュブラザーズ』、知ってるだろ。
あれさ。
あれを『刃牙』シリーズでやっちまったのよ、この御大は。
範馬刃牙。
花山薫。
その他のキャラクターであれば、誰だって登場させていいバーリ・トゥード。
『獅子の門』の久我重明だって、当然のごとく出てくる。
『餓狼伝』のあいつとかもね。
もちろん、『刃牙』のキャラクターたちの存在感だってすさまじい。
柳龍光、いるだろ。
最強死刑囚編のさ。毒手や、空道。鞭打。それから暗器だって使える、あいつ。
あいつ、なんでもう一度捕まってるんだろ。捕まったとして、どう捕まえたんだろ。
もちろん、捕まえたやつがいたんだよ──
誰だと思う? それはね──
そんな話さ。
ページを捲る手が止まらなかったね。
こうやって話してる口調も、これの真似っこなんだぜ。
『刃牙』の途中で編み出された、インタビュー調のカメラワークで強者の関係者が語る演出、あるだろ。
「やっぱりあなた達はワカっていない。花山薫という人物を──」
あれだよ。
それがまた面白えんだ。
痛快だし、ワクワクする。
『ゆうえんち』から先は早かったね。
そのすぐ後に、『遙かなる巨神 夢枕獏最初期幻想SF傑作集』と『瑠璃の方舟』を読めたのも運が良かった。古本、昔からずっと買い集めてて良かったな、って感じの巡り合わせだったよ。
『遙かなる巨神』はデビュー前の同人小説から、デビュー短編、あとタイポグラフィを使った掌編小説を扱ってる。
これを、今のおれと同い年の青年が書ききっちまったのか──
気が遠くなったよ。恥ずかしくなって、布団ひっ被って寝ちまおうかとも思った。
矢作俊彦先生に出会っちまった大沢在昌先生の気持ち、よくわかったよ。
もちろん、悪い意味で同人誌らしい、ひとりよがりな短編もある。
でも、すでに夢枕獏は夢枕獏として完成していたんだな、そう思える風格のある傑作短編もいくつか収録されている。
ここに入っている「山を生んだ男」を読んだ書評家の北上次郎が激賞し、夢枕は山岳小説を書くべきだ、といったのが後年の『神々の山嶺』、そしてその他の「登攀し、上の世界を目指す」話につながったんだしな。
『瑠璃の方船』の方もすげえぜ。
これ、半自伝「風」小説なんだよ。嘘みてえな、夢枕青年らしき人物の青春が描かれる。
主人公の男の半生に、ずっと出ずっぱりの悪友がひとりいるんだが、これまた強烈なキャラクターなんだ。
『長いお別れ』のテリー・レノックス、そこに『天牌』に出てくるような、目つきが鋭くて、麻雀がうまい、しかしどこか破滅の予感を漂わせている博打うちを足してみるといい。
そんな感じの、将棋の真剣師で食っている友達がいたって言うんだぜ。
小説よりも小説した人生じゃねえか。
実際、小説に仕立ててはいるらしいんだけどさ。でも、夢枕先生、『風果つる街』って真剣師の小説、書いてんだよな。きっと、ある程度はホントにあったことなんだろう。
そんな夢枕青年、風人物の『アオイホノオ』物語なんだから、これは読んでいて元気も出るってもんさ。
創作してる人は読んでみるといい。
あとがきで、椎名誠の私小説作品を読んで、コツがわかった、ってようなことが書いていて、おれ、思わず笑っちゃったよ。だって椎名誠も好きだったからね。
この読後の既視感は『哀愁の町に霧が降るのだ』じゃないか、って。
それから、
『秘伝 「書く」技術』
『幻獣少年キマイラ』
『餓狼伝』
『陰陽師』
『涅槃の王』
『獅子の門』
と、読んだよ。もちろん、シリーズを読破したわけじゃない。おれ、そこまで速読家じゃないしね。
最初の巻をいくつか、広く浅く、読み進めてただけさ。
あといくつか、コミカライズ作品も読んだ。
獏先生が激賞するから、山田正紀先生の『神狩り』も寄り道気分で読んだね。
これも、とんでもなくおもしろかったぜ。
しっかし、なんて馬鹿でかい沼に嵌まっちまったんだろうなあ。
ま、でも、愉しいよ。
まだまだ読めてない作品があるんだ。
きっと、死ぬまでに全部読めやしないだろう。
それでも、ずうっと、読んでいたいなあ──
そんな気持ちになるよ。
*
『神々の山嶺』は大作である。
文庫版で、五〇〇ページサイズの上下巻。
谷口ジローによるコミカライズは、文庫で全五巻。
これを再構成して映画の尺にするという作業は、とてつもなく難しい。
物語そのものがさまざまな要素を複雑に抱え持っている、というのもある。
まず、物語の視点人物となる、カメラマンの深町誠。
彼は中年にさしかかり、最後のチャンスという思いで組んだ同志がエヴェレストで滑落する瞬間を目撃してしまい、思いを寄せていた女とは決定的に心が離されている。肝心なところで状況に結論を出してもらう自分を歯痒く思い、焦燥感を抱えながら、マロリーのカメラ、そして羽生丈二を追い続け、ついには山登りまではじめる、複雑な男。
そして、彼が追うふたつのもの。
ヒマラヤ登攀者であるかもしれない歴史的人物、ジョージ・マロリーの私物らしき古物のカメラ。そしてその来歴を知っているらしい、消息不明であったはずの伝説的な登山家・羽生丈二。
そこに、カメラをめぐるネパールのブラック・マーケットでの冒険小説的な攻防が挿入される。
もちろん、この物語の肝心の点は登山だ。あるいは、山だ。
だが、山に吸い寄せられる男達の道程を、この物語は微に入り細を穿ち、表現している。
それを、たった九十四分で再構成できるものなのか。
ジョエル・ダヴィドヴィッチ・ポンポネット監督*1じゃあるまいし。
そんなぐちゃぐちゃと縺れた思考のまま、男は緊張した面持ちで、映画館の暗闇の中に身を浸していた。
そんな男の勝手な不安をよそに、スクリーン上では驚くべき手際で『神々の山嶺』が圧縮・再構成され、映写されていた。
清々しいまでの取捨選択であった。
冒頭からその潔さは剥き出しになっている。
マロリーについての簡単な描写シーンが終わり、深町が登場する。ネパールのバーの片隅、やさぐれた雰囲気で雑誌の編集長に電話をかけている彼は、どうやらエヴェレスト登頂に失敗し、しょっぱい記事しか書けないことに燻っているらしい。そのやりとりをそばで聞いていたチンピラが、深町にあるものを見せ、商談を持ちかける。これはマロリーのカメラだ。特ダネになる。深町はすげなくその男を追い払うが、そのしばらく後、路地裏で荒々しくチンピラからそのカメラを取り返す男の姿を深町は目撃する。一瞬の光に照らされたその顔、指の二本欠けたその手は、間違いなく、伝説の登山家・羽生丈二その人であった。深町は、そんな確信を日本に持ち帰り、羽生の半生について調べ始める──
原作小説、あるいはコミカライズ作品を読んだ方は、すでにお分かりだろうと思う。
マニ・クマールの登山具店の存在がすでに取り払われているのだ。
羽生のネパールでの通名、「ビカール・サン(毒蛇)」も言い表されない。
深町も、最初から確信をもってあれは羽生だと看破している。
このように、映画はかなり思い切りよく原作を切り詰めていく。
南西壁アタック直前、羽生が装備品を念入りに点検し、極限までに重量を切り詰められたその物品一覧に深町が驚く、地味ではあるが印象的な、あのシーンを浮かべてもらいたい。
ノートの表紙まで、「考えてみればこれもいらないな」と破り捨てる羽生の執念が、映画製作者たちにも宿っているようだった。
鬼スラ登攀成功後の「考えてみれば、おれ一人で登ったようなものだな」、岸文太郎の登場、ザイル・パートナーについての「おれなら切れるよ」という発言、長谷常雄との交錯。
これが一晩の飲み会ですべて行われるのだ。
リアルタイム・アタックだなんて茶化すような気持ちは湧いてこない。ただ、鬼気迫るような切り詰め方に、息を飲まされる。
岸涼子との恋愛関係も発生しない。彼女はただ、文太郎の死を嘆き、やがて羽生を赦す、「深町の取材相手」のひとりとして出てくるのみだ。羽生はネパールにおいて、ひとり寂しく暮らしている。
羽生の半生──鬼スラの成功、文太郎の死、グランドジョラスでの奇跡の生還劇、ライバル視していた長谷の事故死。それらを深町は執念深く調べ上げ、体力づくりをして再度ネパールへ向かう。
そして原作後半部のエヴェレスト南西壁アタックにつながる。羽生のサポートとして現れるアン・ツェリンも、この作品ではひとりの親切で経験のある老人として息を潜めている。
そうした登攀ルートは、それこそ羽生のやる山のように、危なっかしく、見ていられないようだが、最短ルートを迷いなく進んでいる。鬼スラ、屏風岩での失敗、グランドジョラスのサバイバル、そしてエヴェレスト。そこに描かれる登攀の息詰まるようなサスペンスは的確だ。
そして、羽生は頂上を踏み、深町は羽生のシンプルな遺言が書かれた紙で包まれたマロリーのカメラ(最初からフィルムは入っている)をアン・ツェリンから受け取り、下山する。
そうした様子を眺め終え、暗闇から解放された男は、複雑な顔をしていた。
ほぼ完璧な取捨選択だったといっていいだろう。
ストーリーが破綻しないぎりぎりのところまで、張り詰め、駆け抜けている。
ディテールは抜群にいい。
取材旅行から帰ってきた深町のいる、一九九〇年代後半らしき日本の風景は、おそらく完璧といっていいように思う。「海外から見たエセ日本」らしき緩みはまったくない、かつてあったろう日本のどこかの風景だ。
居酒屋を出てきた羽生が、長谷におだてられ、高架下で鬼スラをやっつけた様子を事細かに語るようなシーンなんかは、オリジナルのはずなのに、原作にあったような気がしてくる。高架を走る電車の光に照らされ、登攀を身振り手振りで再現する羽生。そのライティングは素敵だった*2。
もちろん、山を登る描写もとてもいい。音響はかなり気を使われていて、羽生に置いていかれ、足跡を辿りながらエヴェレストを登ってゆく深町の耳に届く静謐さ、そしてふいに襲いくる雪崩や落石の音は、見聞きしているこちらも思わず緊張するほどだ。
山岳事故が本当にあっさりと起こり、取り返しのつかない状況や、致命的な重傷を招く怖さも肌で感じることができる。
高山病の描写は震えるくらいおそろしい。
羽生と深町が装備品を整え、自宅を後にする姿が交互にザッピングされ、そこにジャズのフリーセッションのような高揚した気分を表現する劇伴がつくシーンはとてもいい*3。
パンフレットにある評論家の藤津亮太氏の寸評も、的を射ているように男には思えた。
「難題に挑み、見事に成功した」。
その通りだろう。
その一方で、削られたものの多さに、寂しくもなった。
本作は、深町のかすかなボイスオーヴァーのモノローグと、ラストの羽生の遺書のほかには、基本的に外面描写によってのみ内情を描く、小説でいえばハードボイルド調の作りになっている。
映画という媒体では、そうならざるを得ないところはあるだろう。
主人公がべらべら語りすぎるというのは、かなり冒険のいる演出だ。
だが一方で、そうあることによって、『神々の山嶺』の明確な美点である、夢枕獏の語りの多くは削られてしまっている。
発明的なアイデアであり、ものすごい印象をのこす羽生の手記も存在しない。
そしてまた、この欠落は、ひとつ大きな欠点を作っているように、男には感じられた。
深町誠という人物のアイデンティティが、映画では不明なのだ。
原作のくどいぐらいの筆致は、深町誠という決断のできない人物が、羽生丈二という男の存在に狂おしいまでに魅了され、山の濃い時間に中毒になり、ついには羽生を追ってエヴェレストに登ってしまう、その道程に納得がいくよう、注意深く心情の動線が作り込まれている。
ふつうの人間は、特ダネのためにエヴェレストはやらない──
だからこそ、彼はふつうでなくなっていく。
この映画の深町は、かなり飛躍した推理を何度も当て、羽生の南西壁アタックを予想し、体力を整えて再び飛ぶ。ビカール・サンと羽生丈二の同定を何人もの取材によって行い、長谷の遺稿からネパールでの二人の出会い、ひいては羽生の計画を推理する、そんな鈍重な過程は踏まない。大使館に連絡し、雑誌のバックナンバーや古書を漁る。瀬川加代子への未練もなく、井岡と船島が滑落する瞬間を目撃しているわけでもない。山、そして羽生へのシンプルな執念が、彼を駆り立てているように見える。
ただ、それでは、理解はできても納得はしづらい。
この物語は、マロリーのカメラという物理的な道具と、羽生丈二という登山家を奮い立たせ、存在を証明する深町誠という役割としてのカメラがふたつとも、機能していなくてはいけない。
深町というカメラが存在しているからこそ、物語上で不意に現れる羽生の手記、そこではじめて明かされる羽生丈二という人の内面に驚くことができる。
そうしたカメラ的役割を深町が十全に果たせていないように思えるこの映画は、果たして初見の人間、『神々の山嶺』という物語をまったく知らない人が見て、じゅうぶんに納得できるものなのだろうか──
考えても詮ないようなことを、男は思うのだった。
それに、羽生や深町が山で見る幻覚は、はっきりとうまくない演出のように男には見えた。原作において、不気味に羽生を死へ誘う岸文太郎の幻覚は、映画においては分かりやすく安っぽかった。死を目撃していない深町が、登攀中に見る幻覚は、嵐の吹く方向から視界中が赤くグロテスクに染まってゆく、悪夢的な風景だ。ただ、そこに至るまでの高山病の悪化によるダメージの表現が妙にデジタルであったことを含めて、男にはそぐわない描写と受けとった。
長谷の死因である、あっさりした風であるが故にかえって強い印象を残す、山中での雪崩から走って逃げる光景をエヴェレストの深町に移行させるのも、チグハグな気がした。
細かい話だが、深町誠の家の本棚に松本大洋や寺田克也の画集がありそうにもない*4、という点も引っかかった。
羽生の表情も、全体的にやわらかい。
そこまで考えて、男はふと、無性におかしくなった。
どうした、おれはそこまで夢枕獏による原作が大切なのか──
よくできた映画化の粗探しをしてしまうくらい、神聖視しているのか──
ふっと、男の方から力が抜けた。
いいじゃないか。
がっぷり取り組んで、一定の成果を出していたんだろう。
おもしろかったろう。
パンフレットまで、熱心に買っちまってさ。
しかし──
この割り切れない気持ちはちゃんと抱え、忘れずにいよう、と男は決心したのだった。
*1:
https://pompo-the-cinephile.com
*2:長谷が脚光を浴びてゆくことで、羽生が仕事する登山用具店に長谷の広告が現れる対比の演出も残酷で良かったけど、一方でその直後、羽生を取り囲む背景の店→ビルが次々消灯していくのはちょっと演出過多だったような
*3:『コマンドー』の武器装備とか、『キングアーサー』のアーサーがスラムの少年からマッチョな青年になるまでの過程のシーンが好きであれば、たぶん間違いなく好きになるように思う
*4:「作中の深町の本棚が映るシーンでは、スタジオジブリや寺田克也さん、松本大洋さんの本が並んでいる。居酒屋ではロック・パイロットの曲が流れている。「これらを描写したのは、もちろん、日本の偉大な漫画家たちへのオマージュです。気づいていただけたというのはすごく嬉しいです。最も好きなアニメ映画は、高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』です。」と監督が嬉しそうに話してくれた」(「ジブリ、寺田克也、松本大洋など日本の偉大な漫画家たちへのオマージュ 映画『神々の山嶺(いただき)』監督メッセージ動画&インタビューが公開」
https://otocoto.jp/news/kamigami0707/2/
)
そして、小舟は海をゆく:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題8~10
これまでのあらすじ:
・更新をサボっていたため、打ち切り漫画の最終回みたいな分量になった。
〈練習問題⑧〉声の切り替え
問一:三人称限定視点を素早く切り替えること。六〇〇〜一二〇〇文字の短い語り。(中略)
複数のさまざまな視点人物(語り手含む)を用いて三人称限定で、進行中に切り替えながら物語を綴ること。
空白の挿入、セクション開始時に括弧入りの名を付すことなど好きな手法を使って、切り替え時に目印をつけること。
問二:薄氷
六〇〇〜二〇〇〇文字で、あえて物語に対する明確な目印なく、視点人物のPOVを数回切り替えながら、さきほどと同じ物語か同種の新しい物語を書くこと。(後略)
問一:
〈くらしの光明〉朝のおつとめの一つに、講話の時間がある。これは幹部級の人間が、自身らが寄る教義にからめて小噺を毎朝ひとつ、入門者(団体は信者をそう呼ぶ)たちを一堂に集め、言い聞かせるものだ。五時の起床にはじまり、支部内外の清掃や調理当番、瞑想や問答のやりとりといった精神修行をそれぞれ経たうえのこの時間は、噺家が下手くそであればいちばんの苦行だが、C市支部の指導者である萬代よし子の講話はすこぶる好評だった。講話が終わり、ラジオ体操をすませ、食膳をのせる折り畳みテーブルを講堂に並べながら、入門者たちのあいだでの雑談の話題になるほどには。
C市支部は廃寺を〈くらしの光明〉が二束三文で買い受け、修養をかねたリノベーションをすることにより設立された。講堂となる本殿には、まだ薄ら寒い早春の風が吹きぬけ、境内のすずめの鳴き声が響く。萬代はしずしず堂内に入ると、座して待つ入門者たちに一礼し、よく通る声で「おはようございます」と口をひらいた。
「本日もご苦労様でございます。お天道さまの御光が春めいてまいりましたね……」
中列で体育座りをしていた吉岡祐輔は、熱心に聴きいるふうの顔をつくっていた。彼は内心とかけ離れた表情をつくるのが得意であったため、県警の公安部でも重宝されていた。そのため、ここには信者のふりをして内定調査に潜りこんでいるだけであり、よし子への宗教的な敬意の持ち合わせは欠片もなかった。彼の目には、〈くらしの光明〉は仏教由来の穏当な新興宗教にしか映らず、テロリズムへの傾倒などの危険性はちらとも感じられない。だが、自分が無駄足を踏まされていることに腐りつつも、壇上で朗々と語る老婆の観察は怠らない。彼はそうした勤勉さを備えていた。
「……周利槃特、現地ではチューラ・パンタカとおっしゃいます、この人はもと愚者で、仏のお導きによって阿羅漢といたりまして、その道とは……」
前列で正座して聞いていた松浦柚野は、毎朝行われるよし子の講話レパートリーの幅広さに感心していた。柚野もまた信心なき入門者だった。彼女は七味つくね名義でウェブ漫画を連載していたが、ネタ切れに苦しんでおり、家の中で四六時中うめく彼女に苦い顔の両親が入門を提案したのだった。〈くらしの光明〉は、「やや宗教色を帯びた、地域密着型の清掃ボランティア団体」程度の印象を持つ近隣住民は多い。柚野の両親もその一部だった。彼女はテーブルの上のチラシを胡散臭く見やったが、結局は了承し、多くの創作のネタを拾いあつめた──朝の講話からは、とくに。
「……こうした出来事に出逢ったとき、わたくしどもはどういった心構えを持てばいいのか。かの哲学帝は、『他人の罪はその場に留めておくがよい』と……」
よし子のすぐ後ろで黒子のように控えていた三隅透は、腕時計の確認を神経質にくり返しながら、上司のバイタリティの源泉はいったいどこにあるのか思索していた。透は補佐と雑務をかねた役職にいたが、指導者であるよし子はその数倍は働くのだ。それに、彼が時々出逢う本部の人間より聡いと思わせるものがよし子には備わっていた。
「……というわけで、朝の講話を終わります。ご起立願います」
天井のスピーカーからラジオ体操の音楽が流れ出す。倦み、まどろんでいた入門者たちの心がにわかに揃いだすのが感じられるこの数分を、萬代よし子はなによりも慈しんでいた。
問二: *新しい物語
上履きのゴム底がフローリングの床と擦れあう音、それからバスケット・ボールの跳ねる音がいくつもいくつも木霊している。袖幕のウラでその軽やかな音を耳にしていた瀬島イヅミは、集中力を散らされて舌打ちを鳴らした。彼女には舞台現場に赴かないと脚本のインスピレーションが得られない悪癖があった。気が気でないのは、舞台に立って天井の照明位置を確認しながら、横目でその様子を見やる成瀬ヨーノスケだった。演劇部の副部長である彼は、人当たりのよさを買われ、舞台に立たずとも折衝役をやらされることが多かったが、それゆえ気苦労も多かった。現に、脇の階段に腰かけて、貧乏ゆすりのとまらない元村ユタカが舌打ちの音にすばやく振り向いて、それからヨーノスケの方を見やり「いつ終わんの、演劇部さんは」と問いただしてくるではないか。「さあ何とも、うちの作家さん、どうにも気まぐれで……」と愛想笑いを浮かべるヨーノスケはどうにも頼りにならない存在のようにユタカの目には映った。たいして広くもない育命園高校の体育館だ。ただでさえ強豪のバスケ部が我が物顔で面積の半分を占有しているのだから、わがバドミントン部は壇上だって練習に使いたい。それなのに演劇部どもは、といきり立つユタカのもとに、一年の岩田コウヘイが「部長」と駆け寄ってくる。コウヘイとしてはいかにも機嫌の悪いふうの部長には近づきたくもない。なかば理不尽な練習メニューの加算を喰らった経験が骨身にしみている。だが、「新品のシャトル、もう全部天井に引っかかっちゃって……」という報告は意を決して済ませた。同じ新入生である吉澤ユキは、すました顔して練習を続けているが、コントロールのひどいパワー・ヒッターとして悪名を轟かせている。天井にひっかかって帰らぬものとなったシャトルの数がそれを証明していた。「嘘だろ!?」と悲痛な声を上げて立ち上がったユタカを見て、どうもタゲが逸れたっぽいなと悟ったヨーノスケはホッと一息をつき、天井のまばらな白い点々を見上げた。「あれ、取らはるんですか?」と二階のキャットウォークから天井を眺め、市村マキはシャトルとボールの墓を指さした。新聞部である彼女の今月の取材コンセプトは〈発掘! 育命のこんなところにスゴい人〉であり、その〈スゴい人〉候補である用務員の白坂テツは彼女の学生らしい素朴な疑問に思わず笑みをこぼした。「まさか! 年イチで業者さんがなんとかするんよ」さすがにワシでもあんな高いとこよう登らんですわ、とテツが言おうとしたところで、ホイッスルの号令が邪魔をした。あ、ヒカ先、とこぼしたマキの目線の先にいるのは、バスケ部顧問の氷川ユーである。ユーは部員の動きを止めると、すぐに模擬戦にうつるように部員たちに指示した。なるほど強豪らしい優雅さとでもいうか、部員たちの動静にメリハリのきいた動きは、体育館に点在する他の人たちをハッとさせるものがあった。そのため、不思議と静けさの増した中空間だったが、ユーがふたたびホイッスルを吹き鳴らし、ボールを二チーム間の中空へ垂直に投げ上げたことによって、騒がしさは取り戻された。袖幕ウラの暗闇から「閃いたッ!」と声が上がったのはその直後のことである。どうも一瞬の沈黙が瀬島イヅミの頭上に天啓の雷を落としたらしかった。
雑感
・問一はわりあい上手いものをこしらえられた手応えがあります。評判も良かったような。ただ、スイッチが台詞だとわかりづらい、という指摘はその通りでしたね。
・問二はよく映像作品で見受けられる「人物の視点→の先にある物体A(→と類似した物体A')→それを見つめる別の人物」のような転換をやりたくて骨折した例でした。
・前者は地方密着型の宗教施設での生活体系への興味、後者は体育館という騒がしくていろんな人物が混在する場の面白さに釣られて、という感じでした。
〈練習問題⑨〉方向性や癖をつけて語る
問一:A&B
この課題の目的は、物語を綴りながらふたりの登場人物を会話文だけで提示することだ。
四百~千二百字、会話文だけで執筆すること。
脚本のように執筆し、登場人物名としてAとBを用いること。ト書きは不要。登場人物を描写する地の文も要らない。AとBの発言以外は何もなし。その人物たちの素性や人となり、居場所、起きている出来事について読者のわかることは、その発言から得られるものだけだ。
テーマ案が入り用なら、ふたりの人物をある種の危機的状況に置くといい。たった今ガソリン切れになった車、衝突寸前の宇宙船、心臓発作で治療が必要な老人が実の父だとたった今気づいた医者などなど……
問二:赤の他人になりきる
四百~千二百字の語りで、少なくとも二名の人物と何かしらの活動や出来事が関わってくるシーンをひとつ執筆すること。
視点人物はひとり、出来事の関係者となる人物で、使うのは一人称・三人称限定視点のどちらでも可。登場人物の思考と感覚をその人物自身の言葉で読者に伝えること。
視点人物は(実在・架空問わず)、自分の好みでない人物、意見の異なる人物、嫌悪する人物、自分とまったく異なる感覚の人物のいずれかであること。
状況は、隣人同士の口論、親戚の訪問、セルフレジで挙動不審な人物など――視点人物がその人らしい行動やその人らしい考えをしているのがわかるものであれば、何でもいい。
問一:
「ほやけどな、結局なんぼいうても掃除機は掃除機なわけやろ。それ買うゆう分にはチョッチ高いわ」
「ですから、ウチで扱っている商品は掃除機じゃなくって。たしかに清掃するためのものではあるんですが、持ち手を動かしてガーガー吸い込みに前後させる必要なんてないんです」
「わっとる、分かっとるわ。それくらい兄ちゃんのいうてることはよ〜理解してます。電源つけたら自動で廊下じゅう掃き回ってくれんねやろ。やけどね、ウチみたいに由緒あるお宿ぁそらごっつ広いわけよ。兄ちゃんの思うてるよりよっぽどよ。ここ、この接待の部屋なんかほんの端っこなんな。んなとこにこのちまこい掃除機導入するいうても、いまの掃除手伝いのバイトさんら分揃えるて考えたらどんだけ要るゆう話なるわけやんか」
「そうですねえ、確かに導入費用についてのみ考えますと、アルバイトさん数十名の労働費用を若干上回ることにはなりますね」
「な? ボクの言うた通りやんか」
「でもですよ、導入して四ヶ月でランニングコストはこちらの方が下回る、お得になるよというのは試算表で示した通りなんでして」
「なんやその辺うさん臭いわ。ウチ、木の柱とか狭い隙間ぎょうさんあるけど、いざ入れてみる言うて入れたらモノそのものが入れへんとか、ごっつ電気喰うとかあれへんやろな」
「いいですか、この子──じゃなかった、この商品はですね、ある程度のサイズまで変形できるんです。棚のスキ間や押入れの隅だってラクラク綺麗にできます。必要とあらば壁だって」
「壁這い登るんかいな。なんやケッタイな、家守か油虫かっちゅう感じやわ」
「ご不快に思わせないよう、周囲の風景をこのカメラアイで捉えて背面に合成映像を投影することもできるんです。ほら、ちゃんと木目に紛れてるでしょう」
「家守か思たらカメレオンかいな。そんなんされたら気づかんと踏んでまう」
「その点もご心配なく。温度センサーで人肌を感知すれば迷彩を消しますし、万一乱暴に扱ってもちょっとのことでは壊れません」
「あんなあ、第一ウチが広いんは何も建物だけとちゃうで。庭も温泉もそこいらのお宿さんよかずうっと大っきい。さすがに『その子』に芝刈れお湯抜けとまでは命令でけんやろ」
「ご安心ください。室内タイプよりやや値が張りますが、ちゃんと別タイプの商品もありますよ。カタログのええと、このページです。この子は雨の日でもお庭の雑草を刈り取れて……」
「従業員まるごと機械化されてまうわ。そりゃあ兄ちゃんの言うてることにも一理あるいうのは分かってきたで。この掃除機はサボりも賃上げ要求もせんやろうのも分かる。機械は壊れるけど人かて壊れるわけやし。ほやけどな、結局なんぼいうても……」
問二:
「朱莉、人」
「うぇう」
生乾きの返事とともに、タブレットの作業風景が瞬時に隠される。「お前のそれは公然猥褻でしょっ引かれかねない」という問題提起にもとづく話し合いの末、二人で取り決めたルールのひとつだ。人が通りかかったらいったん作画を取りやめる。去ったのを確認したら再開してよろしい。
新篠岡こども公園は、その名のとおり児童たちのための公園である。間違っても、私たち──とくに、眺めのいいベンチにあぐらをかき、脇にチューハイの缶を置いて、鼻歌まじりに水着姿の女の子の絵を描くこの女のための場所ではない。あってたまるか、というのが私の意見。
なるべくその異物から目を逸らし、新篠岡の夜景を一望するのは悪い気分じゃない。山の斜面を平らにならしてできたこの一帯は、坂下の街をぐるり見渡せる。私はこのスポットが好きだ。うまい具合に気持ちよく早起きができたら、朝の通勤にはかならずこの公園を横切ることにしている。ビル群のガラス窓に陽光がきらきら反射するのを横目にすれば、会社での多少の理不尽にだって耐えられる(ような気になる。なるだけだ)。
ただ、彼女は違うものに視線をそそぐ。
妹尾朱莉──うしろのひかり名義でイラストレーターを生業にするこの女は、主として美少女のイラストを方々に提供している。彼女のアートワークスをまとめたデジタル・ポートレートを眺めても私としてはピンとこないものが多い。
その理由は、雑に言ってしまえば朱莉の視線の先にある。
新篠岡の夜景においてとりわけ目立つもののひとつに、巨大な球体ガスタンクの存在がある。夜間仕事のためだろう、ライトアップされて浮かぶ緑の双丘にはそれなりの迫力が出ている。かつてはスイカ風のカラーリングがされていたのだが、長期間風雨にさらされたため、今では緑一色となっている。さて、その独特の丸まっちいそのフォームから、性的なものを連想する人間はきっと多いのだと思う。
「うへへ」空いた左手でなにかを絞るような仕草をする女がその一例だ。「やっぱりここは、なんかが湧いてくる」
そう、新進気鋭のイラストレーター・うしろのひかり先生は、 都営ガス新篠岡工場の風景に刺激を受けながら、ふくよかな女の子の絵を描く変態なのだ──なんて、冗談でも周りに共有できやしない。まして、そんな奴と腐れ縁の旧友であり、マネジメントを請け負う立場であり、あまつさえルームシェアまでしている……だなんて言ってしまえば、それは変態の同好の士であるというカミングアウトも同然なのだ。言えるもんか!
違うんだよ──から始まる彼女の弁を思い出す(「違うんだ」から始まる言い訳は、たいてい違わない)。あれは確か、私のスポブラを器用に脱がしながらのタイミングであって、嫌味以外ものもとは思えなかった。曰く、わたしは二次元の描きものとしてはおっぱいの大きな女の子が好きで、三次元の現実では必ずしもそうじゃないんだよ、だってわたしの絵みたいなサイズの女の子いないし、佐久ちゃんみたいな手のひらサイズも大好き。もはや理屈としても通らないような囁きを聞きながら、どちらかというと私はされるがままの私自身に呆れていたものだ。
「朱莉」
「ちょっ、いいとこだから待って」
つむじのあたりをひっぱたく。この社会性のないスケベの面倒をそれでも見ている自分の源泉にあるのはなんだろう? 珍奇な生き物への興味か、すれっからしの道徳心か、さては愛──はないだろう。
夜風が私の頭を冷やす。とにかく、帰りのコンビニではゴミ袋を買わなければならない。心にそう固く誓う。うしろの先生が逃避している仕事場はすでに辺獄の様相を呈しているのだから。
雑感
・問一は「商談だったらいい感じにお互いが切り結ぶ事になるよなあ」というアイデアからです。実際コストの低い生成ができました。
・問二については「異なる感覚の人」を選択して書いたつもりでしたが、けっこうツッコまれました(苦手な人物の造形はしてないです)。「働いている」「人を養う余裕のある」「わりと性的な事柄を語ることにあけすけで」「こまめな」「女性」という演算の結果、という感じでした。
・個人的に、セクシュアルな描写を避けてしまうきらいがあるので、このタイミングでちょっとでも練習しておこうか、という考えもありました。結果「エッチだ……」みたいなご講評もいただけてよかったです。意図が通じた。
〈練習問題⑨〉方向性や癖をつけて語る
問三:ほのめかし
この問題のどちらも、描写文が四百~千二百字が必要である。双方とも、声は潜入型作者か遠隔型作者のいずれかを用いること。視点人物はなし。
①直接触れずに人物描写――ある人物の描写を、その人物が住んだりよく訪れたりしている場所の描写を用いて行うこと。部屋、家、庭、畑、職場、アトリエ、ベッド、何でもいい。(その登場人物はそのとき不在であること)
②語らずに出来事描写――何かの出来事・行為の雰囲気と性質のほのめかしを、それが起こった(またはこれから起こる)場所の描写を用いて行うこと。部屋、屋上、道ばた、公園、風景、何でもいい。(その出来事・行為は作品内では起こらないこと)(後略)
問三①
州立ミルワード刑務所内にある監獄棟第九二三号独房がその他の部屋に比べて優れている点といえば、風通しのよさにある。とはいっても内装は他とさして変わるところがない。牢の入口から入って右側には粗末なつくりの簡易ベッド。金属フレームは塗装が剥げ落ち、その剥げた箇所からは錆が滲み出している。よく見れば錆の中に切り込みがあり、内部に意図的なうろが作られているが、注視しない限り分かりようがない。フレームの上に置かれたベッドマットは垢と砂で薄汚れ、元よりいっそう暗いドガ風の青を彩色している。その上には、申し訳程度の薄い布団布を被り、ちょうど成人男性サイズの細長いズタ袋が横になっている。
ズタ袋の中身は多量の土だ。水気がなく、細かく、赤茶けている。ズタ袋はむろん生物ではないため、息をしない。が、刑務所作業と内部抗争と己の運命で疲れ果てた多くの囚人が、音もなくこんこんと眠り込むさまをよく真似ている。
入口の左手には金属製の洗面台、奥には便器がある。時々、気のふれた囚人がそれらに頭をぶつけて自殺を図るが(服とベッドシーツは首をくくるには粗末すぎた)、大抵はその必死の轟音を監視員に見つけられて終わるだけだ。便器は水栓式で、汚れた水路を通り抜けられるのはネズミ大の生き物が限界だろう。奥の壁にはやや高い位置に鉄格子つきの採光窓があるだけだ。窓際には希望制で借りることのできる古いポケット新約聖書と、木彫りの小さな象が置いてある。聖書は一部ページを破損していて、もう返却することはできない。
隙間風は、窓からだけでなく、便器と床をつなぐ設置面近くの細い隙間から出入りしている。劣化したコンクリートには微かだが確かな切り込みが入れられている。汚水管の通り道は注意深く砂が排除され、狭い連絡通路が開通している。連絡通路は複雑に入り組んでいた。地下水路の仕組みは、州政府に安くで買い叩かれた工務業者が値段相応の真心で組み上げた無骨な迷路だ。複雑性はただそれに従った結果だった。精密機械が必ずしも精密には造られないように、ある種の人間の杜撰さが連絡通路の骨子だった。通路の先は町外れの荒野に開いていた。
破り取られた聖書のページにはこう書かれていた。詩編32.5。
わたしは罪をあなたに示し
咎を隠しませんでした。
わたしは言いました
「主にわたしの背きを告白しよう」と。
そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを
赦してくださいました。
採光窓の外は暗い。朝の点呼まではまだ二時間ばかり余裕がある。
②
〈特定停止時間を超過しました。安全確認のため周辺情報の自動走査を行います──〉
目の形に嵌め込まれたフレネル・レンズの奥からサーチ用の微弱なレーザーが拡がる。緑の光線が視界の限りを数度周回し終えると、眼光は不意にふっと消えた。やや女性的な合成音声がコックピットのなかに木霊する。
〈──走査終了。周囲に危険性を感知せず。休眠モードに再移行します〉
機体中央のブラックボックスに埋め込まれたメモリに走査情報を記録すると、巨大な兵器はその躯体をふたたび眠りの中に落としこんだ。座標──〈ビッグ・ノーウェア号〉内部、発着デッキ後方。レーザーは躯体の足元に眠りこける人間を数名捉えていたが、あらかじめ識別データを登録された人員であったため、アラートが発生することはなかった。
対軍用巨大ロボット兵器である巨兵神騎ガルガンチュア・シリーズ、その最新機である〈パンタグリュエル〉機。艦内の夜間照明の中でも燦然と輝く青の装甲には傷ひとつなく、これまでの戦役を忘れたように見える。それはもちろん、機体の足元で眠りこける青年アマタ・オオゾラと、その近くに気絶するようにして同じく眠っている整備兵たちの必死の努力によるものである。彼らの着るツナギと手袋は一様に擦り切れ、機械油で汚れ、焼けこげ、獣臭をみなぎらせている。本来であれば〈パンタグリュエル〉操縦者であるアマタは最終整備を手伝う必要はなかったが、彼の義侠心とロボット・マニア気質、そして整備長の老人ケンゾウ・ヒイラギへの敬意がそうさせていた。無論、今後の戦況を予想していた艦長とその下の武官たちは反対した。それを取りなしたのは、アマタに拿捕されて以来、即席の遊撃傭兵として艦内に居座っていた初老の元宇宙海賊、パーキー・パーマだ。パーキーは整備の終わりを見定め、パワード・アームに取って代わられた右手で酒樽を抱え、デッキにやってきた。戦の前のささやかな腹ごしらえというわけだ。疲労に安上がりの月丸ワインはよく沁みた。誰も彼もが呑気に眠りこけているのは、そうした理由もあった。
〈パンタグリュエル〉のすぐ側にあるコンテナには乗船員の一同が未来を託す秘密兵器が眠っていた。この数日のメンテナンスには、機体と兵装の同期に少なからぬ時間が使われた。人類の仇敵である〈ブラックライダー〉の光子兵装をぶち抜くには、この他に手はない。
〈ビッグ・ノーウェア号〉率いる艦隊は地球に向けて着実に進んでいた。宇宙海域はいつもの通り静けさを湛え、そこに不穏の影はちらりともなかった。
雑感
・かなり「ほのめかしてなくないか?」「設定を羅列しているだけでは?」とツッコまれた回。その通りだと思います。個人的にいちばんパッとしない回答だったな、これ……。
・前者は「無人の空間がそのまま脱獄を示すカメラワークになったら楽しいかな」という発想、後者はかなり苦し紛れです。
・バトルものの終盤にある決戦前夜みたいなエピソード好きすぎるというのもある。
・二の固有名詞はこの辺。
〈練習問題⑩〉むごい仕打ちでもやらねばならぬ
ここまでの練習問題に対する自分の答案のなかから、長めの語り(八〇〇字以上のもの)をひとつ選び、切り詰めて半分にしよう。
合うものが答案に見当たらない場合は、これまでに自分が書いた語りの文章で八〇〇〜二〇〇〇文字のものを見つくろい、このむごい仕打ちを加えよう。
あちこちをちょっとずつ切り刻むとか、ある箇所だけを切り残すとかごっそり切り取るとか、そういうことではない(確かに部分的には残るけれども)。字数を数えてその半分にまとめた上で、具体的な描写を概略に置き換えたりせず、〈とにかく〉なんて語も使わずに、語りを明快なまま、印象的なところもあざやかなままに保て、ということだ。
作品内にセリフがあるなら、長い発言や長い会話は同様に容赦無く半分に切りつめよう。
題材:練習問題⑥-二作品目
舵の乗った小舟を海の方へ押していく:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題6 - 睡蓮亭銃声
回答:
彼がやってきた時、わたしは興奮のまま文章を書いていた。久しく握っていなかった鉛筆を片手に、キャリアのない若者だったころのように書くのは楽しかった。
新世界の秘密についての文章だ。気がつくと、かつてと異なる世界にわたしは立っていた。読書家であれば一度は夢見る、無数の本棚が夢幻のごとく連なる空間に。幸いにも、わたしの他にも人間の存在はあった。彼らの多くはここを「図書館」、自分たちを「利用者」と呼んだ。非「図書館」派にも少なからず出会った。カタコンベ、世界樹……。書棚の大樹が並び、鬱蒼と暗いこの世界を、少数派であるわたしは「森」と名づけていた。
わたしのいた区画は人気がなく、赤褐色の絨毯を踏みしめる音がよく聞こえた。やってきた男性は見知った人物だった。かつての世界では、とうに没した人でもあった。わたしは彼の著作を一作ならず読み、内容に驚き、目を輝かせ、時には理解に苦しんだ。衒学的な作風はけして理想とするものではなかったが、彼は間違いなく尊敬に値する先達であり、親しみの持てる数少ない同業者でもあった。
似た感慨を向こうも抱いていたのかもしれない。本の中で出逢った仲だ、久しぶりと言うべきでしょう。わたしの挨拶に、彼はそう答えた。好々爺と呼ばれる老人に共通するこうした茶目っ気を、わたしはよく知っていた。彼らが意外なほど辛辣なことも。
あなたの長編を読みたかった、と嘘偽りなく述べると、彼は笑ってごまかした。どうも執筆を邪魔したことに恐縮しているようだった。短い会見の終わりに「製本所」のありかをわたしに教えると、彼は慌ただしく去っていった。
ほとんど一瞬の邂逅だったが、わたしは多くの知見を得ていた。幸運と言っていい。
この出会いから連想したのは、人生のピリオドを自力で打ってしまった貴方のことだ。ここでならその続きが読めるのかもしれない。オリジナリティを備えた貴方は、この世界を何に喩えるだろう? キンタナ・ロー州の海? それに合わせるのならば舵を取るように、わたしは続きを書いていこう。目前に広がる余白の海に向かって。
雑感
・章の課題を終えるたびに次を読む形式でやっていたので、この課題に巡り合った時、「宿命的にこの回の回答を削るほかないやろ」と思わされてしまった。先取り約束機もしくはフラガラック。
・でも墜落死一族の話を削るのでもよかったかもしれない。
・トーンごと変える改造をして提出をすると、他の方はそういう舵取りをしてなかったので結果的に浮きました。ハハハ。
・あまり成功しない改造でしたが、意識していなかった自分の文章の強みについて指摘してくださる方が現れて、結果としては有益な冒険だったのかもしれません。
最後に
・くぅ〜疲れました。これにて文舵修了です。いや、本当はちょいちょい取りこぼしている課題もあるのですが、それはそれとしまして。
・文章が多少なりともうまくなったかといえば、わかりません。少なくとも自覚はないです。ただ、合評会というシステムが新鮮で、他人の戦略を参照できたり、気づいていなかった自分の美点を指摘される経験というのは、生きていく上での糧に代えられるものになったかな、という実感があります。
・見返すと、まあよくもこれだけ毛色の違う書き物ばっかりやってきたな、と我ながら呆れます。とりとめがない。確固たる自分の文体というものからは程遠い人間なのがよくわかります。
・数回遅刻はしましたが、どうにか皆勤できたのもよかった。まあこれは暇してたからですね。その節はご迷惑をおかけしました。
・合評会で講評してくださった皆様、忙しいなかグループの運営をしてくださった方々に、この場を借りて、改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
・この経験を今後に活かせたらいいよね、ハム太郎。
舵を手に、波に揺れる小舟に乗る:『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』練習問題7-1~3
これまでのあらすじ:
・Q.更新遅くない? A.はい。
〈練習問題⑦〉視点(POV)
四〇〇〜七〇〇文字の短い語りになりそうな状況を思い描くこと。なんでも好きなものでいいが、〈複数の人間が何かをしている〉ことが必要だ(複数というのは三人以上であり、四人以上だと便利である)。出来事は必ずしも大事でなくてよい(別にそうしても構わない)。ただし、スーパーマーケットでカートがぶつかるだけにしても、机を囲んで家族の役割分担について口げんかが起こるにしても、ささいな街なかのアクシデントにしても、なにかしらが起こる必要がある。
今回のPOV用練習問題では、会話文をほとんど(あるいはまったく)使わないようにすること。登場人物が話していると、その会話でPOVが裏に隠れてしまい、練習問題のねらいである声の掘り下げができなくなってしまう。
問一:ふたつの声
①単独のPOVでその短い物語を語ること。視点人物は出来事の関係者で――老人、こども、ネコ、なんでもいい。三人称限定視点を用いよう。
②別の関係者ひとりのPOVで、その物語を語り直すこと。用いるのは再び、三人称限定視点だ。
(中略)
問二:遠隔型の語り手
遠隔型の語り手、〈壁にとまったハエ〉のPOVを用いて、同じ物語を綴ること。
問三:傍観の語り手
元のものに、そこにいながら関係者ではない、単なる傍観者・見物人になる登場人物がいない場合は、ここでそうした登場人物を追加してもいい。その人物の声で、一人称か三人称を用い、同じ物語を綴ること。
問一 ①:三人称限定視点
バザールは大勢の客でごった返していた。セスはその人ごみの中を、お使いによこされた少年である風の演技をしながら、その中に上客はいやしないかと探していた。彼は大通りをしばらく歩き回って、露天商たちの冷ややかな目線を無視しながら、ひとりの男に目をつけた。男は小太りの、いかにも旅行者といった格好をした輩で、まがい物売りのグレッグに捕まっていた。グレッグがふろしきの上に並べた物品のほとんどがガラクタであるということを地元の人間は理解していたが、あえて口に出すものはいなかった。グレッグはセスが品定めをしていることに気づくと、あからさまに嫌そうな顔をして、男の死角になっている左手で追い払うようなしぐさをしたが、セスはそれに素直に従うような類の人間ではなかった。グレッグのふっかけ具合にも動じる様子がないということは、こいつは小金持ちかそれ以上だ、と彼は値踏みしていた。商談しながら、スマートフォンをポケットから取り出したことも、セスには都合がよかった。彼は男の背後をすり抜けた。一瞬のうちに彼は自分のものでない財布を手にしていた。そのまま早足で歩き去ったセスは、背後から上がった男の怒号に笑みを漏らしたが、そのすぐ後に鳴り響いた警笛が彼の顔を神経症的に無表情に引き戻させた。この国で街の警官を動かすには賄賂がいるということを男は知っていたのだ、と彼は遅まきながら察した。警官の足音は雑踏の中でも特徴的だった。セスは安全策を取ることにした。彼は裏通りにつながる建物と建物の間の小径に入って、そこからは全速力で走った。住民ですら把握し切れていない小径の全貌を把握できているという自信がセスにはあった。彼を追跡する警官の足音が遠くなった四ツ辻で、セスは不意に物乞いの老人に道を塞がれた。男は薬指のない手で合図を送った。〈ポリ公〉。その仕草は警察官の存在を暗に示すものだった。セスは一瞬の逡巡ののち、老人のふさいだ道を通るのを諦め、別の道に走り出した。老人はそれを見届けると、頭上のひび割れた窓ガラスに向かって別の合図を投げかけ、それから身を壁際のござの元に引きずった。
問一 ②:①とは異なる三人称限定視点
露天商の顔が原色の光で照らされているさまをスヴェンはぼんやりと眺めていた。建物の屋上から屋上へ吊り下げられた名物の絹染は、半透明といっていいほどに薄く織り込まれ、それを透過してゆく陽光が大通りを歩く人々を奇妙な模様で染め上げることを、地元の人間は慣れた光景だからと気にしないことが、彼には腹立たしかった。バザールの警備という名目で彼はそこに立っていたが、この国で働く警官の大勢がそうであるように、スヴェンもまた腐り、彼の近辺で起ころうとしている不正義を取り締まる気はもとよりなかった。彼は贋物売りのグレッグの店をぼんやりと眺めていたが、場代はすでに彼からも納めていたので、眺めるだけだった。客の男に掏摸のセスが近づいた時も、彼はただその様子を見物していた。地元の犯罪集団の中でも、セスは名うての若手掏摸であり、スヴェンは彼が大通りを平気な顔で歩いていることそのものには腹を立てていたが、不正義の尻は重かった。だが、小太りの男が財布を盗られたことに気づき、怒声を発しながら近づいてきた時、スヴェンは眉をあげた。男は札の入った煙草の空箱を差し出しながら、拙くとも強い語調で自分の被害を訴え出た。こうなるとスヴェンは動かざるを得なかった。彼は首に下げた警笛を吹き上げ、それから群衆をかき分け走り出した。足の速さではセスをとっちめられないことをスヴェンはよく承知していた。彼は息を切らしながら無線で近場の仲間に呼びかけた。同僚のピートが出た。彼は都合よく、別の大通りにいた。セスは追われると街の複雑な小道を利用して行方をくらますことは警察官の誰もが承知していたが、スヴェンは彼の逃走経路にある一定の傾向があることに気がついていた。スヴェンにとっては掏摸と捕まえることも、夜の酒場でサッカー盤に勝つことも等価の楽しみでしかなかった。彼はビール二杯を餌にピートを誘導し、挟み撃ちの作戦に出た。ちょうど廃墟が角にある四ツ辻のあたりで捕縛できる算段だったが、たどり着いた場所に、物乞いのほかに姿が見えないことを承知すると、彼は老人のござの側に唾をはいた。息を切らして走ってきたピートにビールの杯数が半減したことを伝え、スヴェンは老人を睨みつけた。ござの上にあぐらをかいた老人は、片足がないことを示して小金を乞う、よくいる物乞いに過ぎなかった。
問二:遠隔型の語り手(〈壁にとまったハエ〉のPOV)
祝祭のあいだの大通りにはさまざまの臭気が混じりあい、一種独特の妖気を醸していた。焦げた羊串、手ちがいで饐えてしまった密造酒、旅行者のへど、乾ききらない染物の生臭さ、線香のけむり、木箱の底のつぶれたうす紫の大瓜、絞められた鶏の首からあふれ出す血液。そうした臭気の混交のなかで、人間の発するにおいは意外なぐらいに均一的で、鼻につくことはない。不精の娼婦がまき散らす昨夜の気配すら、この大通りでは端役にされてしまう。下衆な親父がすれ違えど、もうけた風のほほ笑みひとつ寄越さない。
だから、通りを歩く少年のひとりが、やや塩気のある汗をそれとなく蒸発させながら歩いていることに気づくのは、せいぜいヤブ蚊か、路地裏の野犬ぐらいだ。彼は贋物売りの屋台の前で立ち止まっている小太りの男をしばらく眺め、男が尻ポケットからスマートフォンを取り出したことを確認すると、おもむろに突き出た尻に近づき、財布を摺りとった。そうして歩き去る群衆の流れに潜り込んだ。小太りの男はしばらくして掏摸にあったことに気がついたのか、悔しそうな顔をして、別のポケットから煙草の空箱を取り出し、近くにいる警官にそれを差し出しながら中途半端な外国語をがなりたてた。空箱の中にたたまれた札びらを確認した中年の警官は、口の端を一瞬ひくつかせると、すぐさま警笛を吹き鳴らした。何事かと目を向ける人々をかき分けて、男は駆け出した少年を追いはじめる。少年は振り向いて警官の存在を認めると、やにわに路地裏の小径に転がり込むように駆け込んだ。追う方はといえば、ビールと地酒くさい息を切らしながら、無線で同僚に応援要請をとなえた。路地裏は複雑にこんがらがっていて、掏摸の少年と警官の距離は微妙に伸縮をくりかえしていた。不意に少年の目前に、片足のない老人が道をふさいだ。老人は指の欠けた手で暗号めいた仕草をし、少年はハッとした表情で方向転換した。数瞬ののち、少年が向かいかけていた方角から別なのっぽの警官が、少年のあとから中年の警官が現れ、暗い十字路ではち合わせたが、失敗に気づいた中年の方は不機嫌そうに地面に唾を吐きかけた。二人が現着したその頃には、老人は壁際にもたれかかって、どこにでもいる物乞いのような顔をしていたが、警官たちは彼が、路上暮らしの人間につきもののむっとした体臭をまとっていないことには気づかずにいた。
問三:傍観者の語り手/三人称
原色の果物がめっぽう積まれた籠をそぞろに見やりながら、屋台の隅、ラツマンは二日酔いに鈍く痛む頭を抱えていた。彼にとってはバザールの華々しい空気はすべてが恨めしく、姦しかった。有名作家の短編小説に引用されたという由来から、バーセルミ大通りという名がこの道につけられていることからして、今日のラツマンのシャクに触った。彼は外国人が嫌いで、アメリカ人ももちろん嫌っていた。かといって愛国心があるわけでもなく、要するに人間全般を嫌っていた。売れたマンゴーの山からちら見える彼の不機嫌な顔は、観光客どころか地元の人間すら遠ざけていた。
だから彼は暇をもてあまし、もてあました暇は身体中をじくじく痛ませた。
ひくく唸りながら彼は頭を上げると、不意に掏摸師のセスがまぬけづらの観光客の尻から財布を擦り取っている瞬間が見えた。セスはバザールの寄り合いの中でもちょっとした悪名を轟かせている一人だったので、頭痛のラツマンにも判った。ラツマンはこうした出来事を見かけて叫び声をあげたり、警官を呼びにいくような義侠心の持ち合わせはなかった。しらふの時にもないのだ。彼はカモを逃して苦みきった偽時計売りのグレッグをざまあみろと愉快な気持ちで眺め、それから、観光客が警官に賄賂を渡すところを見てすこしだけ酒気を抜かした。この国でマッポの尻を蹴り上げるには袖の下しかないってことを判ってたんなら、どうして偽のブランド品に気づかないんだ? 中年の警官が警笛を吹き鳴らして走り去る背中を眺めながら、彼はいたたまれない顔のグレッグと、いまだ紛然としている小太りの男から目を逸らした。これ以上の見せ物は期待できそうになかった。
彼はパイプ椅子の上に丸まって、中空に目線をさまよわせながらその日の朝を想った。彼の数少ない愉しみのひとつが、安い黄色紙に印刷された地元のゴシップ紙だった。地元紙がその日訴えていたのは、秘密警察が動き出したという与太だった。多くの読者のように、彼もまたその珍説を一顧だにしなかった。というのも、続く文章が噴飯ものであったからだ。曰く、独自にアルゴリズムが作られた人工知能に従って、一見不可解な、未来視をするかのような行動をとる捜査官たち……彼の身体は相変わらず重かったが、それでも吹き出す笑いは抑えられなかった。あの新聞記者は作家の方が向いているだろう。彼はそう結論づけると、居眠りを決めこんだ。すでに籠からいくつかの星龍果が盗られていたが、彼にはどうでも良かった。
雑感
・課題に出されたのは「おなじ内容を別視点で何度も再話する」物語だというのに、設計図をひく時点で若干失敗している。というのは、主要登場人物たちがある地点Aから別のある地点Bに移動するチェイスの物語とした際、Bを周りに人のほとんどいない設定にしてしまったので、問三では苦し紛れに別の物語を付け足すほかなくなっちゃったんですよね……。傍観者が物語の移動を追いかけてしまっては、それは傍観者じゃないわな、と途中で気づいて青くなったのでした。
・あと問二の回答例に関しては、二行ほど明確に内心の描写に踏み込んでいるのですが、これも手落ちです。
・というのは、問題文を読んだ際、「壁にとまったハエ」という完全なカメラアイとしての三人称をル=グウィン先生がそう喩えて説明しているのを目にして、「そういえば嗅覚情報って客観性のある描写として受け入れられるものかな?」と気になって仕方なくなった結果の踏み込みすぎによる事故だったのでした。ハエは嗅覚のするどい生き物なので……。しかしなんだか課題レギュレーションのボーダーラインを測るような回答ばかり書いているような気がするな。
・あと、問二に答える前に神林長平の『言壺』(ありうるかもしれない小説のありようについてひたすら思考実験みたいな物語を生成し増殖してゆく、とにかく圧倒されるSF連作短編小説集)を読んで考え込んでしまった、というのもある。
・詳しく説明するとネタバレになりかねないのですが、この作品の収録作のひとつにそうした嗅覚と小説について書ききった短編が収録されていて、エンピツのように単純な人間なので読んでもろ影響されたというのがあります。
・あとはここいらの……。
・問一の文章については「〜た。」で終わる文章を意識的に続けています。作文技術の指南においてそうした文末のだぶり具合は忌避されがちだけれど、古典名作にはそうした一定の調子が続いても名文とわかる文章だってあるし、日本語のしくみとしても理由はあるよね、という井上ひさし先生の指摘(意訳)を念頭においていた気がします。
・海外旅行に行ったことないので、商店街や下町、バザーの様子についてはだいたい読んだものの記憶と雰囲気を混ぜこぜにしています。行けるものならこういうところ、旅行行ってみたい。ただそういう度胸はない。
・あとは、積ん読の本から滲み出てくるなにかを掬っているフシもちょっとはあるのかもしれない。
・以降の練習問題もがんばって取り組んでいきたい所存です。
すべりこみ2021摂取コンテンツ傑作選
・Q:文体の舵7章の課題についての更新は?